気分転換が必要
今日で今年の上半期が終了。明日からは下半期に突入する。以前は時間の経過の早さを実感することがあっても、すぐに雑用に追われて日常に埋没する生活に戻っていたが、晩年を迎えて周囲の事象を人生というスパンで捉える機会が増えてからは自分自身の賞味期限が刻々近づいているのを実感する。というよりも、とっくに期限が過ぎているにもかかわらず、それを認めようとしたくないだけなのかもしれない。仕事は手を抜かずにこなしているつもりだが、考えてみると過去の記憶と体験を基にした単なる反復作業が大半で、すべては型通りに収めているだけでしかない。創造性や独自性とは無縁のルーティンを繰り返すだけなのが不満だが、新たなものを創り出す作業は瑞々しい感性を持つ世代に任せ、組織の機能性を高めるよう努めるのが我々世代の役割なのかもしれない。そう割り切ると一応気持ちの区切りはつくが、そう考えれば考えたで仕事そのものがつまらなくなるから困ったもの。まあ、長く好きな仕事を続けられているだけでも感謝すべきなのだろう。
仕事の区切りがついて帰り支度を始めた金曜夕方に突然携帯電話が鳴った。「俺、覚えてる?」とソフトに語りかける声にビックリ。高校時代の友人Tからの数十年ぶりの電話だった。大阪の大学に4年間在籍した彼とは京都や大阪で何度か会っただけでなく、ある時期は狭いアパートに居候までさせてもらった。「8月中旬に同窓会をやるのでその連絡。人づてに村上がネットでコラムを書いてるって聞いて、この前やっと探し当てた。写真を見たけど相変わらず若々しいな」と言われると困ってしまう。私が内勤になる前に撮った10年以上前の写真で実際はかなり白髪が多く確実に老けている。そんな近況や昔話をしていると時間が経つのを忘れた。彼と一緒に過ごしたのは私が転校した高校3年の1年間だけ。父親が公務員で道内を転々としたため、幼いときから引っ越しを繰り返した私には“故郷”と認識できる場所が思い浮かばない。別に“故郷を捨てた”なんて意識はないものの、愛着を感じる場所がないのも事実。関西に永住すると決めてからはますます北海道が遠く感じており、今回の誘いで久々に心は動いたが、仕事の都合を考えると同窓会への出席は難しそうだ。
日曜夜は仕事の区切りをつけるや否や、JR、阪急電車を乗り継いで石橋へと急いだ。その昔、私がROCK喫茶をやっていた街に新しいライヴハウスができて、そこに若い頃から交流のある弟分HとKのバンドが出演するのだから顔を出さない訳にはいかない。滋賀県、京都府、大阪市内を通過し、淀川を渡って目的地に着いたのは開演した直後。ビルの3階にある薄暗い店内に入るとR&Bがガンガン流れて早くもムードは最高潮に達している。周囲に昔の仲間や知り合いの顔を確認すると一気に気持ちが和らぎ、渇いた喉に生ビールを流し込む。この段階で仕事の疲れはどこかに飛んでいた。最初のステージが終わった段階でバンドのスタッフとも歓談。ここからは更に酒が進む。Aというこの店名は古い音楽ファンなら往年のヒット曲から取ったものだと判る年代を感じさせるネーミングだが、「三十数年前にお宅の店で初めてあの名曲を聴いて感激。その名前をつけさせてもらったんですよ」というマスターの説明には驚かされた。こんなところに接点があったのかと感心しつつ妙に嬉しくもなった。この夜は2回のライヴが終了しても誰も帰らず宴は延々盛り上がった。
結局は日付が変わってから帰宅するいつものパターンになったが、別れる際に「もう競馬の仕事は足を洗って、こっちへ帰ってきてまた店でもやってや。俺たち絶対顔出すから」と仲間から声がかかる。「そんな訳にはいかん。仕事は競馬、趣味も競馬、おまけが音楽。それに柄の悪い君たちがいる店だと雰囲気が悪くなる」と軽い返事をすると「誰やねん、ブエナビスタとアーネストリーで固いって言ってたのは」と冷やかしの声がかかる。「しゃあない、私も1点勝負で“よっしゃ!”と思った瞬間に外から凄い脚で1頭伸びてきたんやから」と反論にならない反論をしていた。宝塚記念で見切ったナカヤマフェスタは菊花賞で馬券の軸にした馬。気難しささえ出さねばG1レベルの能力があると考えていたのに何故か今回は軽視してしまったのが痛恨。最近は馬券作戦に継続性や我慢強さがなくなっていると反省した途端、意識の外にあった1週間の疲れがドッと出た。しかし、昔の仲間と出会い、好きな音楽を聞けたことですべてを心地よい疲労感に置き換えることができた。年がら年中競馬漬けの生活では息苦しくなることもある。ときにはこういった気分転換が必要のようだ。
競馬ブック編集局員 村上和巳
※6月30日付けの原稿です。更新が遅れまして申し訳ありませんでした。 (競馬道OnLine編集部)