卒業、引退の季節
2月10日にJRAから2010年度の調教師試験の合格者発表があり、関西では高野友和、千田輝彦、角田晃一、日吉正和、牧田和弥の5名が見事に難関を突破した。調教助手出身で最年少の高野さんと会話をした記憶はないが、残る4名の方は現役か騎手経験者。個人差はあるにせよ、現場取材記者時代にはそれなりの交流があった人間たち。最終的には私の携帯電話に登録が残っている人間と話をした。周囲の人間に尋ねれば残るふたりの番号も調べられたが、そこまでして図々しく連絡するのも相手に失礼と考えて自重した。
「メッセージありがとうございます。いまはいろんな想いが交錯していますが、正直な気持ちとしては、ちょうどいい時期に区切りがつけられたかなって感じですね」
これは角田騎手の言葉。一昨年秋に電話して以来だったのでメールを送った。このパターンだと相手も気楽に目を通せていちいち返事をせずに済ませられると考えたのだが、すぐ電話がかかってきたあたりが彼らしい。シスタートウショウ、フジキセキ、ノースフライト、ヒシアケボノ、ジャングルポケット、ヒシミラクルで数え切れないほどG1を勝った人間として「騎手生活に未練はないか?」と尋ねると、「ちょうどいい時期に区切りがつけられた」との言葉が返ってきた。所属していた渡辺栄厩舎が解散してからは以前ほど騎乗馬に恵まれなくなっていたが、それでもここ5年間で重賞を7勝。それなりに存在感を示していただけに残念な気もするが、物事には潮時があるもの。次なるステージで存分に活躍して欲しい。
「本音を言うとまだ実感が湧いていないんです。だから先のことについては具体的には考えていません。ここまでいろいろお世話になりましたけど、今後もよろしくお願いします」
親しい人間から山ほど祝福の電話があったろうと思いながらも、日吉正和調教助手には迷わず電話を入れた。騎手としての生活に若くして見切りをつけなければならなかった時期を現場で見守った記憶があったからこそひと声かけておきたかった。10年ぐらいは声を聞いていないにもかかわらず、反応のいいストレートな言葉がポンポン返ってきた。裏開催の出張先から“今週ガラガラなんです。何か乗る馬いませんかね”とよく電話してきたのを懐かしく思い出す。「いろいろお世話になりました」などと言われるような手助けは何ひとつしていない私だが、どんな厳しい状況にあっても前向きで明るさを失わない彼の姿勢にはいつも感心していた。人の痛みが判る彼ならきっといい経営者になれるんじゃないかと密かに思っている。
週刊競馬ブック2月8日号で佐伯清久元騎手の特集を組んだ。勝負の世界に生きる人間ではないとJRAの騎手免許を返上。その後は安定した生活が保障される調教助手にはならず、皮製品の職人として未知の世界に踏み出した人物にスポットを当てたのだが、取材申し込みと基本的な打ち合わせの段階で驚かされたことがひとつ。トレセン時代と比べると別人のように明るくなっていたのである。独りで仕事をしている責任感や人生経験を積み重ねたことも影響しているのだろうが、犬2匹、猫4匹の家族とともに日々好きなことを自分のスタイルでやれるのが大きいのではないか。そう考えた。週報発売後、数日経って彼から電話をもらった。
「雑誌に掲載していただいただけでなく、とても綺麗に紹介してもらって感謝しています。お陰で製品に対する問い合わせも激増しました(笑)。皆さんによろしくお伝えください」
調教師試験の合格者が発表された同じ日、2月一杯で引退する騎手も発表された。そのなかに橋本美純、西原玲奈の名前があり、現場時代にこのふたりと交わした会話の幾つかを思い出した。どちらも希望に胸をふくらませて騎手デビューした頃の様子を覚えている。技術はそれなりのものがあるにもかかわらず自己PRがうまくなかった“よしずみ”と、孤軍奮闘しながらなかなか結果を出せなかった頑張り屋さんの“レナちゃん”。少し時期は早いが、ここまでご苦労さま。まずしばらくはノンビリして、それから自分に合った道を探せばいい。調教師をめざすのもいいし、技術を生かして強い馬を育てるのもいい。また、佐伯君のように新たな人生を模索するのも素敵だと思う。これからの人生は騎手でいた時間よりもずっと長いのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳