ワールドシリーズでMVPに選出された松井秀喜選手がインタビューに通訳を交えて日本語で答えていた。最後の「やっぱり僕はニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメートが好きだし、ここのファンも大好きだから」との言葉が通訳の口からスタジアムに流れると大歓声が沸き起こった。このとき私は英語で話して欲しかったなと思った。日常会話程度はこなせる松井なら簡単に喋れるコメントで、ファンに肉声で伝えるのがベストだと考えた。しかし、翌日に「自分の英語力を考えると、喋ったことで誤解が生じる可能性もある。それで日本語を選択した」との記事が載った。なるほど松井らしいなと納得した。
派手な言動を好まずいつも自分のスタイルにこだわる人柄はプレーにも表れる。ここまでの野球人生を綴ると枚挙にいとまがないが、記憶に残るのは2001年のあるプレー。その試合で2塁打、3塁打、本塁打を打っていた彼は最終打席に記録がかかっていた。つまり、シングルヒットを打てばサイクルヒット達成だ。点差が開いた敗色の濃いゲームでファンは勿論、巨人ベンチまでもが記録達成を願った。しかし、レフト線を抜くヒットを放った彼は一瞬の躊躇もなく1塁ベースを蹴って2塁へと走った。結果は2塁打となって記録達成は幻となった。個人記録よりもチームの勝利を最優先する彼の生き様が伝わってくる象徴的な一場面だった。
事実誤認やポイントのずれた質問をされると怒り狂ったり完全無視をしたりするプレーヤーが少なくないプロスポーツの世界だが、松井の場合はどんな状況でも感情をコントロールして真摯な態度を貫くという話を以前に野球担当者から聞いた。質問内容と彼の認識に食い違いがあれば取材者と語り合うのも辞さないとの姿勢にも度量の大きさを感じる。こんなプレイヤーがいれば取材する側もいい記事が書けることだろう。誠実にして大らかな松井の話を聞いていると競馬サークルのある人間を思い出した。
いまから十数年前、ちょうどG1シリーズ真っ只中で超多忙な時期。しかも、予想も馬券も絶不調で精神的にも財政的にもまるで余裕がなかった私はくたびれたまま取材に出向いた。トレセンで偶然出会った騎手に「今週、なんか馬券になりそうな馬いないか?」と普段はまず口にしない投げやりな言葉をかけた。すると「ダメですよ。そんな取材。同じような聞き方をする記者もいるのはいるけど、僕は感心しない。いつもの村上さんじゃないですよ」と即座に諌められた。口調はどこまでも物静かだったが、頭を強打されたかのような衝撃を受けた。同時にひと回り以上も年長の人間に怯むことなく取材者のあるべき姿を説く彼の姿には深く心を動かされた。勿論、自分自身の人間性の底の浅さを思い知らされたのは改めてここで書くまでもない。
それから十数年が経過した2006年。デビューから22年目、G1級レース(JRA)に挑戦すること42度目にしてその騎手は初めて栄光を掴んだ。翌週にトレセンに出向いて勝利の感想を聞くと「いい馬に乗せてもらえたのがいちばんですが、騎手になってよかったと思えた瞬間でした。ほんとうに幸せでした」との答が返ってきた。浮かれることなく一語、一語を噛み締めるように絞り出すその素朴な態度にはまたしても痺れた。競馬サークルの人間たちもこぞって声をかけにやってきたが、それぞれが心の底から彼を祝福しているのが伝わってきた。その風景を見守っているだけで私までが歓びを共有できた。秀でた人格は立派な財産になる。
松井が巨人の4番として活躍し始めた頃、「顔の輪郭、なんとなく松井と似ているよな」と一部で“リトル・マツイ”と呼ばれていたのが石橋守騎手だ。今年は例年ほどの勝ち星が上がらず少々心配したが、JRA代表として参加したジョッキークラブ20周年記念マカオジョッキーシリーズ第3戦で堂々の優勝。総合成績でも第4位に入線した。「前半2戦が散々な結果だったので、最後に勝つことができてとても嬉しい。3戦目は馬の力に助けてもらいました」とのコメントもこの人らしい。勝負の世界に浮き沈みがあるのは当然。マカオでの勝利を契機に彼本来の姿を取り戻すと信じている。まだ老け込むような歳ではないぞ、マモル君。
競馬ブック編集局員 村上和巳