元日本中央競馬会調教師の保田隆芳氏が7月1日午後9時21分、病気のため都内の病院で逝去。89歳だった。親族による密葬が行われ、後日、偲ぶ会が開かれる予定。 東京都出身。1934年に騎手見習となり、36年から70年まで騎手。中央競馬以降の成績は通算4355戦880勝(国営時代などを含めると6143戦1295勝)。史上初となる8大競走全制覇を達成したほか、58年に日本産馬ハクチカラで海外遠征を敢行した際には「モンキー乗り」を習得し、日本に導入した。調教師となったのは70年。97年に引退するまでに通算3485戦334勝。天馬トウショウボーイや天皇賞馬メジロアサマを育て、日本調教師会会長も務めた。95年に競馬関係者初となる勲四等瑞宝章を受章し、04年には「調教師・騎手顕彰者」に選出されて競馬の殿堂入りも果たしていた。
柴田善臣騎手(42歳、美浦・フリー)は7月4日の福島競馬第5Rでセレスティアルに騎乗し(10着)、JRA通算1万5000回騎乗を達成した。これは中央競馬史上3人目。現役では武豊騎手に次いで2人目。 柴田善騎手 長い間、騎乗していることができたからこそ達成できた数字だと思いますし、達成できたことを嬉しく思います。この先もケガをしないように気をつけながら頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。
日本国内で07年8月15日に発生した馬インフルエンザの国内清浄化(7月1日付)の報告を農林水産省が7月2日に国際獣疫事務局へ行ったことが、JRAから7月3日に発表された。これにより、我が国における馬インフルエンザは事実上終息したことになる。
和田竜二騎手(32歳、栗東・岩元厩舎所属)は7月5日阪神競馬第4Rで7位入線したが、4角で急に外側に斜行して他馬の進路を妨害したため9着に降着となり、7月11日の開催日1日間の騎乗停止となった。
7月5日に札幌競馬場で行われた函館スプリントSに出走する予定だったビービーガルダン(牡5歳、栗東・領家厩舎)は左前脚をぶつけたため同レースを回避して2日に坂東牧場へ放牧に出された。エコー検査の結果によれば腱には異常がなく症状は軽いもの。経過を観察した上で復帰戦の予定が組まれる。
03年に種牡馬を引退し、功労馬として日高町の(有)ケイズ富郷分場(旧:北陽ファーム)で余生を送っていたイブキマイカグラが6月24日、急性心不全のため死亡した。21歳だった。競走成績は14戦5勝、主な勝ち鞍は90年阪神3歳S、91年弥生賞、NHK杯。種牡馬としては活躍馬に恵まれなかった。日高通信に関連記事を掲載。
JRAは6月29日に行われた定例記者会見の席で、阪神競馬場のターフビジョンを更新し、今年12月の第5回阪神競馬から新しいターフビジョンによる映像を提供することを発表した。2面マルチターフビジョン(着順掲示板一体型)で表示面積519.68u(縦11.2m×横46.4m)は従来の約2倍。東京、京都競馬場に次ぐ大きさとなる。
先週の福島競馬に出走予定だったドリームサンセール(5日目6R)、ノーティーズファン(6日目6R、馬番決定前)は、粉末洗剤が誤って混入されたカイバ摂食の可能性があるとして、出走取消となった。
株式会社レオの代表取締役社長であり、JRAの馬主でもある田中竜雨氏が6月30日午後10時、肺がんのため都内の病院で死去。70歳だった。告別式は7月3日に東京都新宿区の牛込箪笥地域センターで営まれた。喪主は妻の昭代さん。所有馬には「レオ」の冠名がつけられ、レオダーバンで91年の菊花賞を、昨年のラジオNIKKEI賞をレオマイスターで勝った。