引っ越してそれなりの日時が過ぎているというのになかなか地元に馴染めない。ぶらっと街を歩いていると必ず目に飛び込んでくるのが京都銀行の各支店や京都新聞の販売所の看板。その数の多さにはいつも驚かされるが、このどちらとも縁はない。市内に私の仕事場があるとか子供がどこか近くの学校に通っているとでもいうのならその地域がひとつの起点になって地元に知り合いができたりすることもあるのだろうが、ごく稀に木屋町あたりに飲みに出かける程度で会社と自宅を往復する毎日。必然的に行動範囲は狭まったままで新たな知人ができるということもまずない。最近の生活状態やこれから先のことを考えればこれぐらいのペースの方が気楽で過ごしやすいとも言えるが、特殊な買い物をする場合などは専門店の知識がなくて困ることもある。
2ヶ月ほど前の休日に突然魚が食べたくなった。北国の日本海側で生まれ育った私は大の魚介類好き。スーパーやデパートに並んでいるものではなく獲れたての活きのいい魚が恋しくなったのだ。思い立つと我慢できない性分でもあって、すぐにネットで場所を検索して中央卸売市場へ直行することを決意した。業務上でこれだけの決断力と行動力を示すことはまずないが、まあそれはそれ(汗)。すぐに電車を乗り継いでJR山陰線の丹波口(京都の次の駅)に到着したのは約1時間後。市場関係者は「小売りはやってないよ」と口を揃えたが、もちろんそれは想定内。市場の近くに卸しているおいしくて安い魚屋さんを聞き込んで最低限の目的を達成。それから数日間は刺身、焼き魚、煮物で日本酒をチビチビ。最近にない充実した食生活を送れた。しかし、いつもいつも電車を乗り継いで行くというのも億劫なもので、数週後には中京区にある名の売れた錦市場に歩を向けてみた。ここなら地下鉄一本で行けるのが出掛けた理由だが、現地に着いたのが夕方では鮮魚の姿などあるはずもない。やむなく干物を買って済ませた。早起きが苦手な人種は近くの店を探せということなのだろうが、それがなかなかできないあたりは意志薄弱というか怠け者というのか、とにかく集中力と持続力に欠けるのである。
先日は運転免許の更新に行ってきた。手続きに向かった免許試験場は我が家から車で外環状線に出て観月橋を通過する数十キロ南西の方角。住所は伏見区羽束師古川町だが、JR長岡京駅の近くというか京都競馬場を少し北上した地点と書く方が判りやすいかも知れない。渋滞に巻き込まれながら現地に着いたのは予定を30分以上オーバーした手続き開始の10分前。窓口にはすでに100人以上の老若男女が列を作っていた。裏道を走ればもっと早く着けたのだろうが、前日にGoogleで道筋を調べてはみてもいざ道に出て一度でもハンドルを切ると瞬時に東西南北が判らなくなる激しい方向音痴の私。土地勘のない場所で横道にでも入って近道をしようものなら間違いなく迷い込んでしまう。そもそもカーナビを着けた車に乗っていないことがすでに時代遅れなのだが、着けたからといって劇的に状況が変化するというのも考えづらい。現状では無難に主要幹線道路を利用するしか手段がないのである。帰り道は大した渋滞もなかったため回り道をして京都競馬場に立ち寄ってみた。
平日の京都競馬場を訪れるのは初めての経験で威容を誇る巨大スタンドはこれまでに感じたことがないほど閑静な佇まいだった。JRAの競馬場を好みで選ぶならスタンドから烏賊釣り船が見える函館がいちばんだが、馬場の中央に池があって外回りコースに独特の上り下りがある京都も心が落ち着く場所のひとつ。改修する前のおむすび型の阪神もユニークだったが、2007年に現在の形にリニューアルされて外回りが新設され、マイル戦の発走地点も2コーナーへ移動した。公正競馬と人馬の安全の確保といった観点からすればリスキーな要素が排除されたのはいいことだが、その後のレースを見ているとどうも面白味に欠ける。馬場を広くして直線を長くした結果として流れが落ち着き、変化の乏しい型に嵌ったレースが多くなっているように思える。小細工のない泰然自若とした戦いも見応えはあるが、そういったレースは東京に行けば存分に見られる。もっとそれぞれの競馬場に個性や独自性があっていいのではないか。そんなことを自問自答しつつ車に戻り、帰路はノーミスで信号にもほとんど引っ掛からず30分ほどで家まで辿りつけた。これは私にとって奇跡に近い出来事だった。
競馬ブック編集局員 村上和巳