・キャプテントゥーレ ・ショウナンアルバ ・スマイルジャック ・タケミカヅチ ・ドリームシグナル ・ノットアローン ・フサイチアソート ・ブラックシェル ・フローテーション ・マイネルチャールズ ・レインボーペガサス
1994年夏。取材の区切りがついて調教スタンド3階の記者席でコーヒーを飲みながら一服している私の目の前に1頭の3歳馬(現在の年齢表記では2歳)が現れた。2コーナーのポケットに設置されている発馬機でゲート練習をしたその馬は、ゆっくりとEコースを周回して私が陣取るスタンド前にやってきた。青鹿毛の馬体はとびっきり派手で全身バネといったフットワークはまさに迫力満点。他馬とは雰囲気からして違っていた。どこの馬かと思わずゼッケン表を調べてそれが渡辺栄厩舎所属のフジキセキ(サンデーサイレンス×ミルレーサー)だと知った。トレセンに入厩して間がないにもかかわらず調教班でこの馬を知らぬ人間は誰もいなかった。
8月20日、新潟競馬場。芝1200メートルの新馬戦に出走したフジキセキは残り1ハロン地点で軽く気合いをつけられただけ。ラストは馬なりでゴールインしながら2着に8馬身差をつけた。しかも、このレースの2着馬シェルクイーンは前週の新馬で3着。つまり確勝を期して連闘してきた経験馬をまったく問題にしなかったのだ。マスコミはこぞって“超大物出現”と大々的に取り上げた。翌週にこの新馬戦のVTRを見た私は度肝を抜かれた。デビュー勝ちできる器だと思ってはいたが、そのパフォーマンスは想像を遥かに超えたもの。血統、馬体、駆けっぷりから推して、この馬が単なる短距離向きのスピード馬だとはとても考えられなかった。
10月8日、阪神競馬場。オープンのもみじS(芝1600メートル)には翌年のクラシックをめざす9頭の素質馬が出走してきたが、ここでフジキセキは単勝オッズ1.2倍の圧倒的な支持に応えて余力でレコード勝ち。次元の違う強さを見せつけた。この2戦目の馬体重は初戦よりも14キロ増の486キロ。それでも太く映らなかったあたりがこの馬の成長を物語るひとつの指標でもあるのだが、この成長力が後々に大きな禍を招くことになるのだった。このレースが終了した日の夜、私は友人たちに来年の皐月賞馬が決定したと触れ回った。
12月11日、中山競馬場。3歳王者決定戦の朝日杯3歳Sに出走してきたのは10頭。2戦2勝、単勝オッズ1.5倍のフジキセキを脅かす馬がいるはずもないと思いつつテレビ観戦。結果はゴール前でスキーキャプテンにクビ差まで迫られる辛勝だったが、内容を振り返ってみると道中で折り合いを欠く場面があり、直線ではずっと内にモタれてもいた。そんな若さを見せつつも先頭でゴールを駆け抜けるあたりがこの馬のポテンシャルの高さなのだが、精神面の若さなのか肉体面の未成熟さなのか、実戦で持てる力をフルに出し切れていない点が私には不満だった。フジキセキという馬はもっと強くもっと凄い馬であるはずだと確信していたから。
翌1995年3月5日、中山競馬場。10頭立てで行われた皐月賞トライアルの弥生賞は単勝オッズ1.3倍のフジキセキが3角から先頭に立ってホッカイルソー以下を寄せつけずに完勝。いつもより前につけて馬の気持ちに逆らわないレースをしたことには納得した。このレースでの馬体重が朝日杯より16キロ増の508キロ、デビューから4戦で36キロも体が増えていたのには驚かされたが、かといってデビュー時が細かったわけでもなければ弥生賞当日がとくに太かったわけでもない。つまり、この馬は短期間に常識破りの急成長を遂げていたのだった。
「入厩初日に跨って驚きました。いかにも父親似の体つきで、歩きだすとまたバネが凄い。モノが違いましたね。レースは4度使いましたが、親父(渡辺栄元調教師)も僕も一度として負けることは考えていませんでした。というか、あの馬に関しては“負ける”という概念がありませんでした。成長力も物凄くて日々体が大きくなる。しかも、潜在スピードは断然。このままでは足元に負担がかかりすぎると気遣いましたが、馬の成長は人間には止められるものではありませんからね。無事だったらですか?3000メートルの菊花賞は別物と考えるとして、少なくとも皐月賞とダービーは勝てていたんじゃないかと思います。それだけの能力を持った馬でした」
これは調教でフジキセキの背に跨り続けた渡辺隆調教助手(現森秀行厩舎所属)のコメント。弥生賞の19日後に左前屈腱炎を発症して種牡馬入りすることになるのだが、クラシック目前の突然の出来事はさぞ無念だったろうに、「(引退を)早く決断したのは正解でした」と回顧していた同助手。完治する保障がないのが屈腱炎であり、とてつもない能力を秘めた馬だからこそ早期に決断したのだろうが、過酷な闘病生活を経験させず引退させたことが現在の種牡馬フジキセキの大成功につながっているとも言えよう。ちなみに、同世代のダービー馬タヤスツヨシも同じ初年度のSS産駒で、前述のもみじSに出走してフジキセキの2着(0秒2差)となっている。
今週は「現役時代のフジキセキの思い出を」という奈良県のSさんのリクエストにお答えしました。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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