・インティライミ ・ウオッカ ・ダイワスカーレット ・ダイワメジャー ・デルタブルース ・ドリームパスポート ・ポップロック ・マツリダゴッホ ・メイショウサムソン ・ロックドゥカンブ
“2007年新語・流行語大賞”の授賞式の様子が新聞に載っていた。年間大賞となった東国原宮崎県知事の「どげんかせんといかん」や、高校生ゴルファー・石川遼選手の「ハニカミ王子」あたりはなんとかついていけたが、トップ10にランクされた言葉の大半を知らなかった。最近は仕事を終えて帰宅するとFMを聴きながら夕食をとることが多く、テレビはニュース番組かスポーツ中継を稀に見るぐらい。受け入れるか否かは別にして、その年の流行語ぐらいは知っておきたいものだが、時間に追われてそんな余裕がないのが寂しい。
競馬場から届いた週刊誌の“次走へのメモ”の原稿に“右側だけチークピーシズ”とあった。片側だけなら違うだろうと独り言をつぶやきながら“右側だけチークピース”と赤を入れたが、ここで考えた。“左側だけブリンカー”を着けるケースがあれば、両眼にブリンカーを着けるケースもある。しかし、両眼に着けた場合に“ブリンカーズ”とは言わない。チークピーシズは最近になって日本へ上陸した矯正用の馬具で、ブリンカーはもっと以前から日本で使われていたもの。認知されてからの歴史の差なのか、それともブリンカーは基本的に左右でワンセットと考えられていたものが分離したのかと悩んでいる。外来語は難しい。
週刊誌で“牝馬変則三冠達成・ダイワスカーレット”という表現があった。「たとえ頭に“変則”とつけたにしても、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯の3勝で三冠達成と書くのはおかしい」との声が挙がった。三冠の概念を考えれば、世代限定の桜花賞、NHKマイルC、秋華賞と3勝したのなら“変則三冠”の表現も頷けるが、3歳馬が古馬混合戦に勝って“三冠達成”はたしかに強引すぎる。個人の署名原稿なので敢えて校正はしなかったが、検討記事など社としての正式な見解を綴る文章ではこういった表現をしないようにと申し入れた。競馬での三冠はタイトルの足し算ではないのだから。
「“新馬をおろす”の“おろす”という言葉は日本古来からあるもの。誂えた服を初めて着る場合や新しい靴を初めて履く時もおろすといいますよね。つまり、自分の手がけている馬を初めてレースに使う場合の初々しさ、期待、不安、といった様々な感情が込められていて、それを“おろす”という言葉に託しているのです。“おろす”では判りにくいから“使う”の方がいいとのご意見でしたね。でも“使う”という言葉はどこまでもただ“使う”の意味だけで、言葉に奥行きがないのです。表現としては“おろす”の方がいいと考えます」
これは若い競馬ファンの方からの問い合わせ電話にお答えしたもの。競走馬を初めてレースに使う場合の“おろす”という表現が判りにくいので“使う”にすべきではないかとのご意見だったので、私見を述べたところスンナリと納得していただけた。どんな種類の原稿でも言葉は大切にしたい。
「ええ、レース後に抗議はしました。伝統のある天皇賞をこれ以上汚してほしくなかったから。“左回りはいつもモタれるんだ”と話していましたが、それは誰もが見て判っていること。そんな癖を制御して走らせるのが騎手の務め。“仕方ない”で済ませては(公正な)競馬はできません。一部で“福島にでも行けばいい”と僕が言ったという記事が載ったようですが、そんなことを言う訳がありません。福島にも競馬場があって、たくさんのファンがいます。福島の競馬ファンを冒とくするような失礼な言葉を口にするはずがないじゃないですか」
これは先日の騎手対談の合い間に私がした質問に対する答。秋の天皇賞で斜行した騎手に対して、福永祐一騎手が“福島にでも行けばいい”と話したとする記事がネット上に掲載された。同時に「福永は何様だ」「ローカル競馬を馬鹿にした発言」といった書き込みがいたるところにあった。冷静な彼らしくない発言だと真偽のほどをたしかめたところ、「そんな失礼な言葉を口にするはずがない」と毅然として私を見据えた同騎手。期待通りの返答に納得しつつも、「(そんな記事を書くことも含めて)それがマスコミだから仕方ない」と続ける諦観を漂わせた言葉が応えた。競馬の本質を追究するよりも誇張や捏造によってスキャンダラスな記事を書いて読者心理を煽る記者が少なくない。競馬マスコミも“どげんかせんといかん”対象のひとつなのが残念である。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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