菊花賞での武豊の落馬について1ファンからの電話。“あれは明らかに武が自らの意志で飛び降りたもの。八百長だ!!”とのご意見。“JRAにも抗議の電話は入れたけど取り合ってはくれなかった。だからお宅へ掛けているんだ”と。故意でやったものではないと経緯を細かく説明しても頑として聞き入れようとしないのだから困ったお人だ。
話は変わるが、あの落馬によって事前に練っていた観戦記の構想が木葉微塵に打ち砕かれてしまった。G1レースは原則としてそれだけを対象に書くことにしている。月曜日発行の週刊誌の原稿としては一番最後の出稿となる。遅くなればそれだけ関東方面への輸送に影響を及ぼすため、できるだけ早く仕上げる手段として、大筋のところを組み上げておいて、結果に合わせて推敲していく方法を取っていた。そこに居るべき主役がいなくなった時の困惑というか狼狽というか。落馬したのがノーリーズンだと確認した一瞬は、まさしく頭の中は真っ白になってしまった。正直いって、その後はどの馬がどう走ったのか、レース内容は薄らボンヤリで皆目分かっていなかった。再生された録画を見ることでどうにかレースの輪郭を掴み、パトロールビデオを数度繰り返して見てやっと文章を書ける準備が整った。
通常は午後5時前には脱稿している。多少余分にかかっても10分頃には終わっていたものだ。今回は5時30分をとっくに過ぎている大遅刻。各部門に多大な迷惑をかけてしまった。内輪のことだし、事情が事情だから“ゴメン”で済ましているが……。そうでなくとも語句が浮かんでこないのに、時間に追われると余計に空転。好い年をして焦りまくって醜態を演じたことは思い出しても恥ずかしい。悟りを開くには50年早い。あの世へ行ってからのことになりそう。
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