タテヨコ問答 新考察
競馬の仕事のサイクルは、今更言うまでもなく一週間単位です。トレセンと、社の事務所を往復しながら業務をこなして週末の競馬に備えるわけですが、いわゆるトラックマン≠ナはない私ども内勤の編集者の通常シフトというのは、土曜日まで当日版と週刊誌業務のために美浦の事務所に詰め、日曜日だけ競馬場に行って週刊誌の最終作業を行う、といったような流れ。 ですので、土曜日から競馬場に行くケースは滅多にはなく、先日、東京競馬場で開催した「読者招待イベント」や、あるいは週刊誌の特別な取材がある場合などに限られます。要するに私が土曜日から競馬場に行くのは、一応特別≠ネ動き方になるわけですが、9月の中山開催中、それをしました。
これは以前から漠然と考えていたことで、競馬場に来ている一般のファンの皆さんに取材…というと大袈裟になるかもしれませんが、競馬との関わり方や、馬券の買い方等を直接、話をして聞かせてもらう、といったようなことをしてみたかったのです。 週刊誌の記事に、とか、アンケート云々なんて狙いもやってみてから、くらいの気持ちでしたので、ずっと実現せずにいましたが、この9月、真似事のような形で独自に動いてみたわけです。
その中のお一人とのやりとりの中で、ハッとさせられた、というかコツンと頭を叩かれたような軽い衝撃を受けた話がありました。
その方は東京都内在住の72歳の男性。若い頃に競馬をしていたものの、仕事の関係でしばらく離れていたそうですが、リタイア後に再開。土曜日の午後にゆったりと楽しんでおられるのだとおっしゃってました。 キャリアが長い方らしく、こちらもいろいろと質問を受けたのですが、そのひとつにこれがあったのです。 「ブックさんはどうしてヨコ組みなんですか」
ご存知の通り、多くの競馬新聞がタテ組みの出馬表なのに対し、我が社はヨコ組みです。本社が関西ですから、まあ独自の専門紙文化を築き唯一無二の存在として確固たる地位を確立した、なんて手間味噌っぽく言えばカッコよく聞こえますが、他社はすべてタテなのですから、全国展開しようとした際には、違和感を覚える人がやっぱり少なくないってことです。
この問い。実は入社前から。ですから30年来の自分自身への課題、ということになります。自問自答しながら自分を納得させ、人に聞かれた際の答えも用意して、と、それなりに過ごしてきました。 それでもどこかに釈然としない部分も残しているのでしょうか。いつも、この手の話になると、苦笑しながらの、決まり悪さを抱えたかのような口ぶりになってしまいます。
上のような質問に対しては、もっぱら「慣れると使いやすく感じて頂けると思うんですけど」と応じることからスタートします。 これは経験上の事実です。 自分は関西ではありませんがザックリ言って西日本方面の出身。でも競馬を始めたのは東京に来てからですので、当然最初はタテ組みの新聞のお世話になっていました。それがなぜブックになったのかというと、「関西の新聞はヨコ組みらしい」と友人に聞いたから。 当時から全国のすべての競馬場に行くつもりになっていたので、「じゃあヨコにも慣れておかなきゃな」というのが間違いの…いや、事の始まりだったのです。とは言えなかなか買うタイミングがなく、どこかから怒られそうな話ですが、ファーストコンタクトは何と武蔵野線の網棚に捨ててあったものを手にした時。それが間違いの…しつこいな。 ともかく、そんな出会いから30年数年ですから、慣れ≠セけは間違いないのです。
それでも、どうしても愛用するアイテムの好みばかりは人それぞれ。 こっちの方が機能的だの合理的だのと、例えば「競馬はレースの走破時計は勿論、上がりタイムに調教時計、馬体重、斤量とか、とにかく数字を比較することが多い競技です。その場合、漢数字で表記するわけにはいきませんから、本来的にヨコ書きの方が正解、とまでは言いませんが、ヨコの方がしっくりくるはずなんです」などと主張してみても何の効果もなかったりします。
また、こちらの強い援軍として「競馬場のオフィシャルのレーシングプログラムもヨコ書きですし」なんて決めゼリフのように口にする時もありますが、「レープロは新聞ではないからいいんです。朝日でも読売でも毎日でも、日本の新聞はタテで書かれてますよ」と逆にこちらが諭されたり。
ですが実際問題として、愛知以西ではヨコ組みは定着していて、他のギャンブルにもヨコ組みをみたりするのです。なのになぜ関東以東では馴染まないのか…。
30年来の課題、と言うか、大きな疑問がこれでした。 その疑問に、先の男性が、ある仮説を提示して下さったのです。
いつものようなやりとりをした後、彼が発したのがこちら。 「しつこいまでの数字の羅列は、江戸っ子特有の気風の良さを重んじる気質に反してるんじゃないでしょうか。ゴチャゴチャ言わずにスパッと言い切って欲しい、と考える人が関東には多いんじゃないですか」
ちょっと古い話ですが、花登筺の代表作の一つに「どてらい男(やつ)」があります。大阪の山善の創業者がモデルの小説。ドラマにもなりました。 その中に似たような話が出て来たと記憶しています。東京進出を託された主人公が、いつもの自分の仕事の進め方、つまり営業スタイルが今ひとつ受け入れられずに悩んでいる時、ふらっと入った寿司屋の主人に「上方の連中は江戸の気風ってものがわかってねえからな」みたいなことを言われ、それをヒントに怒涛の快進撃につなげる(だったと思う)みたいなエピソード。
断片的にですが、こんなことを覚えてるくらいですから、先の男性が発した仮説、はっきりと着想が自分の好みです。なぜ気づけなかったのかと悔しい?思いをしたほどでした。
わかりやすいところで、お笑いの世界も確かに西と東で違いがありますし、その他のシーンでも違いを数え上げだしたらキリがありません。気候や風土で文化に違いが生じるのは、むしろ当然なのでしょう。
しかし、風土からくる気質や文化問題だから、どうすることもできないのでしょうか? いや、決してそんなことはないはず。それがたとえ的外れだったとしても、要因のひとつがわかれば対策を練ることはできますから。 それは必ずしも営業的なことに限りません。自分の中の、何かしらの引き出しを増やせることにもなります。せっかく頂いたヒント、大事にしなくては。
かくして「タテヨコ問答」、まだまだ続くことになるわけです。まったくもって、長い長い道のりです。
さて、これが今年最後のトレセン通信になります。毎度他愛のない話題で恐縮ですが、これからもこんな具合にたくさんのことを皆さんに教わりながら、新しい発見や学びを続けて参りたいと思っておりますので、今後とも、くれぐれもよろしくお願いいたします。 今年も本当にお世話になりました。
美浦編集局 和田章郎
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