『傍らにある競馬』
長いことひとつのことと向き合ったり付き合ったりしていると、そこに居たりあったりするのが当たり前になり過ぎて、対象への有り難みを感じにくくなりがちです。競馬に限ったことではありませんが、あまりいいことではありません。 でも、そんなようなことを自覚なく過ごしていても、何かの拍子に「そもそも始めたキッカケは何だったっけ?」と、ふと思う時があります。
自分の場合、競馬≠ニいうものを知ったのは、それこそハイセイコーの頃。勿論当時はスポーツだのギャンブルがどうの、という前に、競馬のボードゲームが登場したりしたくらいで、単に馬が走ることに賭ける行為≠ノ興味を持った程度でしたが。 高校に入ると、トウショウボーイとテンポイントとグリーングラスのことを話題にする同級生がいたりもしましたが、それでもまだ他人事に過ぎませんでした。 それが大学に進むため、東京に出てきてから様子が違ってきます。
何らかの目的を持って大学に入って、その意識で生活していく中で、なんでしょう、ポッカリと穴が開いたというか、自分の立ち位置を見失ったとでも言うんでしょうか。自暴自棄になって、どこか現実逃避に向かったような時期があったかもしれません。 そういう沈みがちで暗い気分の時。或いはマイナスイメージというか、ネガティブな心情に囚われてしまっている時、競馬場は優しく機能します。
話が逸れるようですが、11月30日に漫画家の水木しげるさんが亡くなりました。それですぐに思い出したのが2010年上半期のNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』。氏の奥様の著作が原案になった作品で、その中で、たった一度だけ登場人物の一人が競馬場に向かおうとするシーンがありました。 ドラマの舞台は昭和35〜36年当時の、水木氏の自宅のある調布市。ということは、向かった競馬場は隣町の府中、つまり東京競馬場でほぼ間違いないでしょう。 そして向かった男、というのは、光石研さん演ずるところの貸本屋の主人。彼は太平洋戦争での体験がもとで、精神的傷跡が尾を引いて立ち直れずにいる、という設定なのですが、その彼が仕事をサボッて悪びれずに競馬場に向かう…。 自分が競馬に引き付けられたのは、この感じに似ています。無論、戦場の体験なんてあるわけがないですし、20歳くらいの青年の煩悶なんて、という意見もあるかもしれませんが、競馬場は程度の差なんてお構いなしに受け入れてくれるのです。
話を戻します。学生時代にアルバイトしていた喫茶店の女主人が「1年に1度、ダービーだけ馬券を買う」ということで、毎年知り合いに頼んで買っていました。不思議なタイミングでしたが、同じように上京していた高校の友達(前記とは別人)がちょうど競馬を始めた頃で、これはいいチャンスだと思い、「では今年は私が行ってきましょう」と、後楽園の場外馬券売り場に出向くことになったのです。 まあおうおうにしてビギナーズラック≠ニいうものは存在するもので、一緒に買ったダービーの馬券が的中するわけですが、その昭和58年はもっぱら場外馬券売り場で過ごしました。
そして競馬場デビューは昭和59年の年初めの中山。メインは京成杯でしたが、まず人の多さと、その歓声の大きさに驚いたものでした。もうひとつ衝撃的だったのは、馬達の美しさです。 私は決して単なるロマンチストではないですが、しばしば「サラブレッドは走る芸術品である」なんて言い方されますけど、なるほど間近で見る馬達は、そうとしか表現のしようがありませんでした(今もその思いに変わりはありません)。
それはひとまずさておいて、初めての場所ではいろんな動きをしてしまう癖がありまして(せっかくですから)、メインの少し前のレース中に、ゴール前で馬場に背を向けてスタンドの方を見てみたのです。 その熱気、エネルギーに圧倒されるとともに、これだけの人が競馬場に来て、馬が走る姿に熱狂している様子というのが不思議であり微笑ましく、そして歓声に包まれているうちに、チマチマとした鬱屈した思いみたいなものが全部…そう全部吹き飛ばされるような爽快感がありました。確実に、劇的に一人の男が嵌まった瞬間≠セったと思います。 改装前のスタンドは古く、1階のタタキの部分(立ち見の所)も外れ馬券や新聞紙が散乱し、正直、今の感覚ではお世辞にも綺麗な空間ではありませんでした。それなのに、というか、だからこそ、だったでしょうか。もうひとつ現実の生活に違和感を覚え、先が見えないような不安を抱いていた自分にとって、一般社会と隔絶したかのような競馬場の空気が、心地良かったのだと思います。 そのファーストインパクトの強烈さが、その後の生活に大きく影響することになって、すぐに東京競馬場に足を運んだのは言うまでもなく、続いて訪れた浦和、大井と、どこの競馬場でもやっぱり同じように居心地の良さを感じたのでした。
これと似たようなことが、吉永みち子さんの『気がつけば騎手の女房』の中にも出てきます。コースを背にしてスタンドを見た、なんてエピソードまであったんじゃないかと思いますが、本が出版されたのは昭和59年の秋(京成杯は同年の1月です念のため)。読んだ時に、「同じようなことをして、同じように感じる人がいたんだ…」と思ったことが、今の自分につながっているのかどうかはわかりませんが、とにかく競馬に対して自分と同じようなプロセスを辿って嵌まった人がいたことに驚き、嬉しくもありました。
というわけで、ますます競馬熱が高まっていくわけですが、その過程で「競馬を奥深いところで理解するためには、他のスポーツは勿論、芸術全般、国別の文化や思想、経済、あらゆることを学ばなくてはならない」と考えるようになっていきました。すべて、競馬を楽しむために、です。 それから30年近くが経ちました。感慨深い…では済まない思いが去来します。
今年の週刊競馬ブックのダービー号の狙い馬のコラムでも書いたことですが、競馬はその構成要素の多様さで他のギャンブルとは明確に一線を画します(構成要素の多様さは鉄道にも言えて、その部分が競馬ファンとテツが共鳴するところだと思われますが、それはまた別の機会に)。それだけ楽しみ方は多く、人それぞれになります。だからこそ、その最前線たる競馬場だけは、さまざまな価値観が混在する場所であって欲しい、と願うのです。
例えば、もし最終レースが終わった後の競馬場の1階スペースで、寒風の中に外れ馬券が舞うようなことがなくなると、どことなく寂しく感じる、というのは、オールドファンの時代錯誤な感傷に過ぎないでしょうか? 昨今の風潮とは真逆のことを書くつもりはありませんが、そういった感覚が全面的に排除されるのは、やっぱり寂しく感じてしまいます。 だって競馬場が、外れ馬券や新聞紙が舞うようなことのない、爽やかで美しいだけの場所だったとしたら…。少なくとも昭和59年当時の自分が受けたファーストインパクトは、形が違ったモノになっていたと思います。
ちょっとだけ想像してみてください。競馬場には皇族の方がみえたり、外国の王族も来場しますね。また政財界や芸能、スポーツ界と、ありとあらゆるビップもやってきます。その一方で年金生活のお年寄りや、正規雇用されない若者達、それこそ低所得者層なんて呼ばれるような―いわゆる社会的弱者に属する人達もいらっしゃいます。 何年に一度とかのビッグイベント会場ならいざ知らず、競馬場は上記のことが結構な頻度で起こります。そんな場所、他に思い当たりますか? ですから、きれいなフロアが社交場になる人達もいれば、薄汚れたフロアが仲間意識を強める場所になる人達もいます。それが当たり前じゃないでしょうか。また大人が騒げる場所があるかと思えば、子供達が遊べる場所もある。それも当然でしょう。
そんなふうに多種多様な人達が一箇所に集まって、ひとつの競技に一喜一憂する。この状態が普通に起こり得ることこそ、競馬が最高かつ究極のエンターテインメントである、という仮説が成り立つ所以。そして、そうした性質を象徴的に具現化してるのが競馬場なのだと思います。
そんなふうに考えていけばいくほど、改めて我々はとてつもない競技に関わっているのだと思いますが、だからこそ競馬場だけは、たとえ時代が変わっても、ヒステリックな正論ばかりが罷り通るのではなく、どこかに緩い部分も残して多くの人々を受け入れる場所であって欲しい。20代前半の、何もわからずにいた自分を受け入れてくれたように…。
来年以降もずっと、競馬が行われる競馬場がそういう場所であって欲しい。そう願って2015年の当コラムの筆を置き、新しい年、2016年に向かいたいと思います。
美浦編集局 和田章郎
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