『どこを向くのか』
“本来ギャンブル好きは保守的である” という仮説をご存知でしょうか。「俺は穴党で堅い馬券なんか買わない」と言う人も、アウトローを気取って「安定した生活には背を向けて馬券を買っている」と言う人も、です。根拠は単純明快。ギャンブルに参加しようとすると、胴元(体制)が決めたルールを全面的に支持し、受け入れることが基本になるから。まあ保守的であるかどうかは異論反論あるとしても、主催する側に対して受動的であることは確かでしょう。 例えば、ルールの不備をついて革新的なことを口にする人や、違法の賭場などで納得できずに暴れたりする人がどうなるのかというと、その多くは賭場から退場させられることになります。博打を打ちたいなら、とりあえずはルールを受け入れるしかない。 競馬に限って言えば、まず控除率の設定に始まって、急きょの外枠発走とか乗り替わりであるとか、馬場の急変による取り消し等が認められていないとか、思いつくことを挙げ出すとキリがありませんが、AがBの進路を妨害したかどうか、それによって降着するのか到達順位通りに確定するのか、といった判定まで含めて、ファンがすべてを受け入れて成り立っています。ただし、それは主催者とファンの間の、絶対的な信頼関係が大前提ではあるのですが。 ところが、主催者の決めたルールそのものが、何のアナウンスもなく変更されていたとすると、「はいはい」と黙って受け入れるのは難しくなりませんか。信頼で築かれた“相互理解”から、かけ離れてしまいますから。
6月10日3回東京4日目に、そのことが残念な形で顕在化しました。
その日は、まず5Rの新馬戦で不可解なことがありました。向正面で一頭の馬が外に進路を取った際に隊列が乱れ、馬群が不自然にバラつくことになったのです。デビュー戦の2歳馬のこと。たまに見られるケースですが、鞍上は他馬への危険性を考慮したのか、その後、ほとんど満足なレースができずに終わりました。 その数分後、グリーンチャンネルを見ていた古い知人から「一体、何があったのか」という電話取材(?)がありました。テレビ画面で見ていてすぐに気付くような、それほど異様なレースだったのですが、知人から問い合わせがあったのは、このレースで“審議”の文字がターフビジョンに点灯することがなかったからです。 それから約1時間半後に、今回の“事件”が起きました。第8Rの芝1600m3歳上500万下のレース。1番人気のファイナルフォームが坂を上がって敢然と抜け出し先頭へ。これに交わされながらも内目で粘り込みを図るヒラボクインパクト。この馬を外から加速したランパスインベガスが掴まえた、と思われた瞬間、先頭のファイナルフォームが左ムチに過剰反応して外にヨレ、ちょうどランパスインベガスの進路の前方に入ってしまいました。まともにブレーキをかけることになったランパスインベガスは、ヒラボクインパクトを捉えることができずに3着で入線。この時も、どよめいているスタンド、記者席の反応をよそに“審議”の文字がなかなか点灯しなかったのですが、しばらくして点灯。確定まで20分近くの時間を要しての発表が「到達順通り」、そして鞍上に2日間の騎乗停止処分が下されました。 いろいろなところで報じられていることで、繰り返しになってしまいましたが、レースでの経緯はこういうことでした。しかし、更に問題は続きます。
最終レースの終了後に、この件に関する裁決委員による記者会見がありました。3方向からのパトロール映像を見ながらの裁定理由の解説、それを受けての質疑応答。その中で「後続馬の着順が変わっていたかどうかの可能性は、制裁の判断基準にはならない」という説明があって、ちょっと耳を疑ったのです。 08年にトールポピーがオークスを制した際、審議の末に今回と同じように「到達順通り確定、鞍上だけ騎乗停止」の措置が取られました。断っておきますが、審議対象となったトールポピーのオークス制覇に異議を唱えようという気は毛頭ありませんのでご了承ください。ここで取り上げたいのは、この時の裁定理由について。それが「他馬の着順に影響を与えるほどの斜行ではない」というものだったと記憶しています。正式な発表だったかどうか定かではありませんが、それ以前も以後も、加害馬が降着処分を受けないケースでは似たり寄ったりの説明だったように思います。ルールを受け入れるだけの我々は、その説明で納得させられてきたわけです。 ところが、この説明内容は「着順が変わっていたかどうかの可能性は、制裁の判断基準にはならない」という今回の説明とは真逆ではないでしょうか。上記した「アナウンスされていないルール変更」というのがこれ。ルールを受け入れるだけといっても、知らないうちにそのルールが書き換えられているとすれば、さすがに納得しかねます。それとも、こちらがそれらのルールをすべて誤って認識していた、ということなのでしょうか。 しかし、ですよ。そもそも1、2、3着の入線順通りに的中させる馬券を発売している主催者として、レース結果の公正さを判断する際の基準として、「着順が変わったかどうかは関係ない」というのは、あまりに無茶で乱暴な、というか、ファンの心理を無視した危険な発想に思えますが、いかがでしょうか。
そのあたりも含めて、事の重大さを感じたランパスインベガスを管理する小島茂之調教師が、レースの2日後、JRAに不服申立てをしました。そして翌13日に裁定委員会が開かれ、結果、不服申立ては棄却。その概要として一点目に「加害・被害に直接の関係を有しない馬との着順の変更の可能性をもって被害の程度は判断されない」という前述の理屈が挙げられ、二点目に「被害馬がゴールに到達するまでの約2完歩の控えであり、競走能力の発揮に重大な影響があったとまでは認められない」ということも挙げられていました。 実はこれについても記者会見の場で説明があり、筆者は、一昨年のJRA主催の勉強会にて“よりゴールに近い事例の方が大きな制裁の対象になりやすい”と説明されたことを例に上げ(当リレーコラム「裁決の話」、「見る側の印象」の回をご参照ください)、今回の「ゴール前2完歩しかないので」云々との矛盾に触れたのですが、これも「アナウンスされていないルール変更」だったのでしょうか。それともやっぱりこちらの誤解だったんでしょうか。なんにしても、釈然としないことに違いはありません。
その後、小島茂之師はスポーツ仲裁機構など他の機関への訴えかけも考慮したようですが、熟慮の末、様々な方法論を取り入れながら今後も問題提起を続けていく、との方針にされたよう。そもそも調教師はJRAの認可を受けている立場で、言ってみれば主催者側の人。いろいろ難しいこともあるでしょうし、その中での問題提起も、それこそ大変な労力を要するに違いありません。ひとつひとつ地道に、ということになるのでしょう。 ただ、例えばスポーツ仲裁裁判所などが、判定そのものについてではなく、“競技の審査機関が主催者の一部署である”という点について、どのような見解、判断を示すかという点には単純に興味がありましたね。まあこういったことも、ひとつひとつ地道に、ということで。でも、あまり悠長なことは言っていられない気もしています。
今回の一件以降、何人かから「もう競馬が嫌になりそうだ」という意見を聞かされました。それがほぼ例外なく競馬をとことん愛してきた人達。そのことが何よりも大問題だと思うのです。はたして主催者は、そのことをどの程度まで認識しているのか…。 冒頭に書いた通り、ギャンブラーの多くは主催者が決めたルールを全面的に受け入れるだけの立場。そうは言っても、競馬は「ではあなたのところから電気は買いません」みたいなことが言えないまでの対象ではありませんからね。「もういいです」と本格的にソッポを向かれる可能性だってなくはない。そうなった後は? 業界全体で、どこを向けばいいのかを改めて考え直す必要に迫られている。“終わりの始まり”ではないですが、そんなような危機感すら覚えています。
美浦編集局 和田章郎