競馬と馬券と
先日、都内で編集プロダクションなるものをやっている友人からメールが届いた。彼が出版社に勤務していた頃の後輩5名が小倉に遠征するので世話をしてやってくれというのが主旨。現場を離れて間もなく丸9年の私ができることなど知れているが、競馬場内の席の手配や飲み会用の店探しなど一応やれることはやった。考えてみると現場記者だった頃はこのグループを筆頭にいろんな友人や知人が競馬場にやってきた。取材の合い間に彼らのところに顔を出して再会を喜びつつ狙えそうな馬を1、2頭を推奨。同じメンバーが宴会を繰り広げる夜の部にも飛び入り参加。その日の狙い馬の成績に応じて自慢話になったり反省会になったりしたが、酒を酌み交わしながらの競馬談義には時間を忘れて痛飲。泥酔したが、長く競馬に向き合っている人間同士だと気遣い無用で好き勝手を言い合えるのが痛快。4日に現地入りして小倉競馬に参戦した女性4名、男性1名のユニークな編成のグループは九州での週末を愉しく過ごせたろうか。
いまの仕事に就く前はROCK喫茶の店主兼使用人だったが、その頃からすでに競馬に嵌っていた。当時周囲にいたのは開店から閉店まで音楽を聴きながら暇をつぶすような若者たちで、怠惰といえば限りなく怠惰だが、自分がやるべきこと、やれそうなことが見つからないだけでなく、自分自身の居場所すら見つけられない若者ばかりだった。そんな連中の前でLРレコードをかけながらカウンターのなかでコーヒーを点て、合い間にラジオから流れる競馬中継をイヤホーンで聴いて一喜一憂する私の姿は実に奇怪だったはず。大学生、フリーターに高校生が入り混じった客たちから競馬を教えてくれとよく言われたが、できる限りは聞き流すだけにして応じなかった。社会人でもある程度自分を律することができないと長続きしないのが競馬であり、将来の展望が開けていない時期の若者が首を突っ込むのはどうかとの思いがあった。電車内で競馬関連の雑誌や新聞を広げるだけで眉をひそめられるような時代だったのだから尚更ではあった。
競馬ブームが訪れた1980年代終盤からはファンの質が目に見えて変化し、競馬に対する社会的認知度も大きく変わってきた。それに伴い周囲の人間たちの我々競馬マスコミに対する接し方も変化してきたが、ギャンブルの本質を理解していない人々の感覚、態度には閉口した。大レースの前になるとどの馬を買えばいいか相談してくる人間が多くなったのは我々にとって悪いことではないが、“プロなのだから的中して当然”と考える人種が大半。そんな相手に馬券のアドバイスをしてもし外れようものならすべてこちらの責任にされてしまう。好意で囁いて失望されたり逆恨みされては身がもたないため、“ギャンブルはご自身で決断してこそ”とかなんとか言って逃げ回って生きてきた。勿論、競馬そのものをその人物なりに理解して、なおかつ波長の合う人間とは交流を持ったが、いまになって思えばその数は少なかった。
電話投票の1週間の購入限度額が10万円だった当時に年間1000万を超えるプラスを計上したA、競馬場にきてパドックで馬を見るだけでとんでもない穴馬券を頻繁に的中させていたB。どちらも私の古くからの友人でこと馬券に対するセンスの良さは際立っていたが、ひとりは数年前にこの世を去り、もう一人は消息不明となって久しい。それぞれにスタンスの違いがあって当然だが、馬券の結果に執着しすぎると競馬との友好関係を長く保てないのは仕方のないところではある。私のような馬券下手な人間が引用するといささか本質から外れて説得力に欠ける感を否めないが、“馬券を買うという行為は無責任に諦めること……賭けの快楽は裏切られることそのものにある”と誰かが書いていた。競馬歴約40年、論理的思考が不得手な私ではあるが、読み返すといろいろ考えさせられることが多かった。やはり競馬は奥が深い。
競馬ブック編集局員 村上和巳