秋の終わりに 想うこと
先日、久しぶりにJR京都駅近辺を歩いて人の多さに驚かされた。平日だというのに駅の南側にある中央改札口を出たあたりはもう人だらけ。なぜかと思う間もなく旅行社のガイドが手に持つ幟が目に飛び込んでくる。紅葉で知られる寺社や観光地に向かうバス乗り場には長蛇の列が続いているのである。紅葉は夏から秋にかけて寒暖の差が激しくなるとより色彩の濃淡が鮮やかになると言われており、夏に猛暑が続き秋が束の間に終わった今年の場合は例年以上に美しいようだ。我が家からギリギリ徒歩で行ける範囲にある紅葉の名所を二ヶ所ほど知っているが、人混みを想像するだけで億劫になり一度も足を向けていない。競馬場の雑踏ならいつでもどこでも駆け回れるのだからあくまで気持ちの問題なのだが、幾つになっても錦秋の古都を愛でるような落ち着いた心情とは無縁で、むしろ騒々しい日常が似合っているのだろう。
11月20日、土曜日の午後。約半年ぶりに競馬場へ出掛けた。翌週の東京で行われるジャパンC観戦の計画も練っていたが、顔を出して挨拶しておかなくてはいけない人物がいたのでそちらを優先することになった。秋のこの時季の京都競馬場はなんとも風情があっていい。桜花賞や皐月賞といった春のクラシックはその世代の戦いのスタートであり、初々しさとともに日が昇っていくような勢いや活力を感じるが、菊花賞、秋華賞といった三冠最終章のレースには落日寸前の哀愁にも似た一種独特な雰囲気が漂う。やり直しがきかないからこそクラシックが人の心を引きつけるように、ラストチャンスに懸ける人馬の想いが込められたレースには必要以上に感情移入してしまいがち。背後から迫る秋の陽をその背に受けて皮膚を煌めかせながらゴールめざして疾駆するサラブレッドの姿をこれまでに何万頭見てきたことか……。 京都競馬場で少々感傷に浸った翌週のジャパンCはテレビ観戦となった。審議の結果、1位入線のブエナビスタは2着降着となり、2位入線のローズキングダムが繰り上がりの1着となったのはご存知の通り。この裁定については“厳しすぎるジャッジ”“空気の読めない裁決”と批判的な声もあり、“ルールには従うが、日本の判定は間違っている”とスミヨン騎手が漏らしたとの報道も一部にはある。しかし、こういったケースで感覚や立場の違うすべての人間を納得させる裁定というのはまず有り得ない。裁決委員はJRAのルールに従ってブレない毅然としたジャッジを下すべきであり、その点において今回のジャパンCの裁定は正統なものだったと思っているが、15分、20分と時間が経過しても審議ランプが点滅したままの状態が続いていたあたりはいかにも時間がかかりすぎた感を否めない。結果が結果だから仕方ない部分があるにせよ、この日は優勝馬の口取りの場面も勝利騎手インタビューもテレビ画面で見ることができなかった。ファンに対する説明責任について考えるならばやはりより迅速な決断を求めたい。
“真の勝者がいなかったJC”“ローズキングダム判定勝ち!”といった苦肉の見出しが翌日の各メディアに躍っていたように人それぞれ受けた印象が違った今年のジャパンCだが、レース内容は十分見応えがあった。発走直後に躓いてバランスを崩し落馬寸前になりながらも直線で素晴らしい伸び脚を見せたブエナビスタについて考えると、秋の天皇賞といい今回といい、これまでとは別馬のような凄みに溢れており、確実にスケールアップしているのを感じる。一方、再三きつい不利を受けながらも諦めずにゴールをめざしたローズキングダムの強靭な精神力も春のレースからは感じ取ることができなかったもの。5番人気と評価を下げていたダービー当時と比べると馬体が20キロ増え、レース運びも力強さと自信に満ち溢れていた。こうしたサラブレッドの成長を目の当たりにできるのも競馬の愉しみのひとつでもある。
京都開催の終了とともに紅葉の季節も間もなく終わりを告げ、今週からは阪神、中山、小倉の3場で師走競馬に突入する。年内のこの原稿も有馬記念週まで3回を残すだけとなった。ジャパンCで文字通り死闘を演じたブエナビスタとローズキングダムが再び相まみえることになる有馬記念まであと4週。ウオッカ、ダイワスカーレットが築き上げた牝馬の時代が続くのか、それとも牡馬が覇権を奪還するのか興味深いが、今度こそは審議ランプのつかない綺麗な戦いを繰り広げて欲しいと切に願う。
競馬ブック編集局員 村上和巳