買い忘れた 頼まれ馬券
ある土曜日、日の出前に厩舎回りをしているとひとりの厩務員が声をかけてきた。「兄ちゃん、悪いけど、今日のメインレースの馬券、買うといてくれへんか。頼むな」と言いつつ紙切れと紙幣をシャツの胸ポケットに押し込んでくる。競馬法で厩舎関係者の馬券購入は禁止されおり、この依頼を受けると私もルール違反の片棒を担ぐことになる。そう考えて一旦は断ろうとしたが、相手は取材が難しいことで知られる厩舎を仕切っているいかにも頑固そうな古老。眼光鋭く“頼むな”と言われると駆け出しの記者としてはとても拒否できなかった。その場を去った後にポケットの中身を確かめると、11R枠連1―7を1万円、1番の単勝1万円と走り書きしたメモと折り畳んだ1万円札2枚が出てきた。
この日は現場スタッフのひとりが都合で欠勤。競馬場での仕事が増えただけでなく、私にとってはラジオの競馬中継に初登場する日でもあった。僅か5分ほどのコーナーで狙い馬を語るだけだったが、慣れない分それなりに緊張もしていた。業務を普段通りこなし、ラジオ出演も無事に終了。ひと息つきながら遅い昼食を摂っている最中にメインレースのファンファーレが鳴り響く。自分の席に戻って双眼鏡で各馬の動きを確認しているとレースが始まる。淡々とした流れで馬群が4コーナーにさしかかる。直線に入ると逃げていた赤帽が一杯になり、そこから白帽と橙帽が併せ馬の形でグングン伸びてくる。この瞬間、頼まれ馬券を買っていないことに気付いた。背筋に悪寒が走り、頭は真っ白になった。
電光掲示板に点滅する馬番で確認するまでもなく、単勝も枠連も的中していた。私はゴンドラの記者席に座ったまましばらく動けずにいた。ほどなく場内に単勝680円、枠連1590円のアナウンスが流れる。投下額2万円で払い戻し金の総額は22万7千円、つまり彼の馬券は20万7千円のプラスとなった。給料が10万ちょっとの時代にこの払い戻し金は巨額である。手持ちの金をかき集め、翌日は朝から馬券でマイナス分を埋めようとしたが、簡単に損失補填できるほどギャンブルが甘い訳もない。結局は休日の月、火と思い浮かぶ知人たちに連絡を取りまくり、なんとか必要最低限の金額を揃えられた。
レースから4日後の水曜午後。私は22万7千円入りの封筒を持って厩舎へ向かった。相手の行為が競馬法違反だろうとなんだろうと、依頼を受けたからには黙って払い戻し金の総額を相手に渡すべきだった。封筒を受け取ったベテラン厩務員から「四国に住む甥っ子が競馬好きで、近くに場外馬券売場があれへんから時々ワシに頼んできよる。いつもは大阪の知り合いに頼んどるが、今回は急な話で連絡がつけへんかった。ホンマに助かった」と意外な説明があり、違法行為に加担していなかったことで気持ちは幾らか楽になったが、借金の返済にかなりの時間を要したのは言うまでもなかった。
その後、二度と馬券を頼まれなかったが、機会があるごとにその厩務員から「花見に顔を出せ」だの「勝ち祝いをするからこい」だのと誘いがかかるようになった。厩舎に顔を出す回数が増えるにつれて、気難しい調教師やナーバスな厩舎スタッフとも顔がつながった。それからは「来週デビューするウチの新馬はまず負けん」「今週のメインに使う馬はデキ落ちや」といった生々しい情報が次々に飛び込んでくるようになり、それまで取材に手を焼いていた難攻不落の厩舎が私の得意厩舎へと変わっていった。件の厩務員の気配りがキッカケだったのだが、一度馬券を頼んだだけの人間にその厩務員が何故ここまで気を遣ってくれるのか不思議だった。その点についての説明はまるでなかったし、勿論自らが招いた失態なのだから、頼まれ馬券を買い忘れたことは相手には一切話さなかった。
その厩務員が定年退職を迎え、厩舎スタッフが開いた慰労パーティーには私も招待された。二次会で私の横に坐った彼の口から「あのときは迷惑をかけたみたいやな」との台詞が漏れた。馬券を買い忘れた私が借金をして払い戻し金を支払ったことを同業他社の人間から聞いて知っていたという。「忘れたのは私の責任だから払うのは当然。それ以上にお世話になってばかりでしたから」と答える言葉に嘘はなかった。退職してかなりの時間が経ったいまもたまに彼から電話がかかってくる。こうした人間関係は現場にいればこそ構築できるもの。数多い私の失敗談のなかでも特別な記憶として残っている。
競馬ブック編集局員 村上和巳