夏祭りに 思うこと
8月1日、日曜日。週刊誌が校了となったのは7時前。自分の机に戻って思わず深い溜め息が出た。この1週間でこれでもかとばかりに集められた資料や雑誌のゲラが散乱しているさまはまるでゴミ溜めだ。二十数名が所属する栗東編集局において1、2を争う汚さなのはいつものことだが、夏場は出張者が多く、スタッフ不在の机は綺麗に整理されている。だからこそ私の机のゴミがより目立つ。次の電車まで少し時間があったので簡単な片付け作業に取りかかったが、一朝一夕に片付くレベルにない。PCメールにしても携帯電話のメールにしても同様で、ここ数年間に届いたすべてがメールソフトに残っている。保存すべきものは保存して他は削除すればスッキリするのだが、そのままにしてあるのだからその量たるや膨大。気がつけば途中からはゴミを放ったらかしにして最近届いたメールを順に読み返す作業に取り組んでいた。計画性の乏しさ、一貫性のなさは幾つになっても変わりようがない。
「お忙しいなか、すみません。もし可能であれば小倉記念の馬柱の載ったもの(枠順も)をコピーして、宿泊先のホテルまでファックスで送っていただけないでしょうか」
週報の執筆者Aさんから届いたメールだ。1週間ほど前から南アジア旅行に出かけていらっしゃるのだが、週末はやはり日本の競馬が気になるようだ。海外へのファックス送信は過去に数度挑戦して苦戦続き。学習能力がないため隣席の水野隆弘に「どうやるんだっけ」と毎回尋ねて呆れられているが、今回も同じことを繰り返していた。「海外送信はファックスの横にマニュアルが貼ってあります」と言いつつ改めて説明してくれる。思わず「今度こそ覚えるから、いつもすまんな」と出かけた言葉を必死で飲み込んでいた。ここ数回連続してこの言葉を発しつつ、結局は送信方法を覚えていない自分に気づいたのである。これでは完璧なる口先オヤジでしかない。今度こそ、今度こそちゃんと覚えるから見捨てないでくれよな、水野、そして周囲のみんな。
「いま新潟にきていて、偶然お会いした村上さんの知り合いの方と飲んでま〜す……」
これも執筆者のひとりBさん。原稿のやりとり以外ではほとんど交流のない方だが、出張先独特の開放感か、それとも酒豪(容姿から想像がつかない女性)と噂されるだけの実力を発揮する場に恵まれたのか、メールの内容からは楽しげな雰囲気が伝わってくる。飲んでいる相手は長い付き合いのある関東の記者仲間で年齢も私と近い。どうせ面白おかしくネタにされて勝手に盛り上がっているのだろうと考えていると、三十数年前に出張した当時の新潟市内の街並みが浮かんできた。若い頃は徹夜で飲んでも早朝の攻め馬までに帰って普通に仕事を済ませた。古町あたりの繁華街で飲んで明け方に競馬場のある豊栄市(2005年に新潟市と合併)まで帰るとタクシー代だけでも馬鹿にならなかったが、開催日になればどこかで資金が増えると信じていたあの頃。怖いものなしの二十代で無茶も随分した。 電車の時間が近づいた頃に会社を出て歩き出すと普段の日曜の夜より人影が多い。行き交う人たちのなかに浴衣姿が目に付き、お母さんと娘さんが肩を寄り添って歩く姿を見て事態が把握できた。この日は“夏祭り”だった。栗東には二十数年住んでいたが、考えてみれば家族と一緒にこの手のお祭りに出かけた記憶は一度もない。春秋の運動会、学校行事、お祭りなどの大半は土日に集中しており、競馬に関わる仕事をしている人間にとって日程は極めて厳しいが、それでも寸暇を惜しんで家族とともに過ごそうと努める人間もいた。私は口癖の“仕事だから”のひと言で片付けてなにひとつ努力せずに過ごしてきた。都内に住む息子が就職したのは土日が休みの企業。就職の際に休日については彼なりのこだわりがあったと聞いたが、父親を反面教師にしたことは疑う余地がない。
祇園祭当日の地下鉄の車内もそうだったが、この日の夜のJRも浴衣姿の家族連れが目立った。仕事の区切りがついた段階で少しはこれまでの埋め合わせをしようかとも考えているが、親の背中を見て育つような時期はもうとっくに過ぎてしまった。結局はいままで通り気ままに競馬中心の日々を過ごすことになるのだろうが、長く好きなことに没頭する人生を続けられていることに感謝したい。
競馬ブック編集局員 村上和巳