この1週間 の交遊録
先週半ばに定期検査で栗東の歯医者に行った。待合室で順番待ちをしていると見馴れた顔が登場。「いやあ、久しぶりに顔見るな」「馬に乗ってた頃より太ったね」と型通りの会話からスタート。「最近は我々調教師も厳しくてね」「厳しいという意味では新聞業界も負けないよ」とよくある世間話へと続く。「上半期は重賞を勝ってG1でも格好をつけてくれる馬が出たけど、もう少しイキのいいのが出てこんと」「2歳馬はそこそこ粒が揃ってるって聞いてるけど」と更に会話が進む。このあたりから調教師の現状についての話となる。「いまは調教技術の高さや馬の育成法なんかまずは求められない。極論するなら、実績を挙げるためにはいかにいい馬を入れるかがすべて。自分の進上金を減らしてでもいい素材を入厩させるべく動こうとするのは仕方のない流れ」とのコメントを聞くと複雑な心境になる。独特の形態を取っているJRAの厩舎制度が時代とともに変化するのは当然ではあるが、本来あるべき姿とは異なった方向に進んでいるように思える。
土曜日の午後、ひとりの若者が編集部にやってきた。「○○ですが、小倉版の新聞を一部いただけますか」との声に閃くものがあった。「ひょっとしたら、○○さんの息子さん?」と問いかけると「はいそうです」と歯切れのいい返事があった。現場時代にお世話になったある現役調教師の二世が父親の厩舎で助手として働きはじめたと聞いたのは6年ほど前。どんな若者か気になったのは勿論、会ってひと声かけたいと思いつつ機会がないまま現在に至っていた。「私、ブックの村上です。その昔、お父さんには大変お世話になって」と切り出すと「父から何度かお名前を聞いていますし、子どもの頃から週刊競馬ブックの記事を拝見していました」との返答。あくまで型通りのやりとりだったが、相手の表情や立ち居振る舞いを見ていると少々感傷的になった。自分が歳をとったことに対する感慨もあったが、それ以上に感じのいい若者だったことが嬉しかった。
先日の新馬戦で“マギーメイ”という馬名を見つけた。JRAホームページ内の“馬名の由来”で調べるまでもなく、その昔流行った曲からとった名前だとすぐに判る。厩舎担当の三浦幸太郎記者に「この馬どう?」と尋ねると「可愛い馬ですけど、初戦に関してはどうでしょう」との返事。レースではついて回ったたけで15着に敗れた。叩いてどれだけ変わるかはともかく、しばらくはこの馬に注目してみたい。聞かれてもいないのに「この馬名は1971年にロッド・ステュアートがヒットさせた曲。ビートルズのレットイットビーにも同名の違う曲が入っているけど、全英、全米で大ヒットしたのはロッドの方だから、そっちから取ったと思う。年上の女性に振り回され自堕落な生き方をした若者が自分を取り戻そうとする心理を歌った曲で、おそらく作者の体験的な歌詞だろう」とどうでもいいことをくどくど語っていた。マンドリンの音色が巧みに調和した哀愁漂うメロディーが印象的で、40年ほどが経過したいまも時々CDで聴いている私のお気に入りの曲のひとつ。
昔話を嫌というほど語られて閉口しているはずの三浦記者が「そういえばマギーメイを担当してる加藤さんてひとが、“村上さんどうしてる?”って聞いてましたよ」と優しく教えてくれる。うん、なかなかいいヤツだ。「加藤?ひょっとしたらタカシ(孝)か。50代前半で、ちょっと悪っぽいけど、いい男。そんな雰囲気じゃないか?」「その昔、伊藤修司厩舎にいた頃、村上さんとよく喋ったって話してましたよ」との会話で人物が特定できた。西の名門厩舎でスーパークリークの調教を担当していたタカシにはいつも密着取材。その背中のすべてを教えてもらった記憶が懐かしく甦る。10年以上も顔を合わせていないが、あのタカシがマギーメイを担当しているのならこれもなにかの縁。近々厩舎に顔を出そうと決めたが、夏時間の朝にトレセンへ行くとなると3時台に起床しなくてはいけない。実現は困難なので午後の飼い葉をつける時間帯でも狙ってみよう。
最近のこのコラムは昔話が多いと自覚しているが、週刊競馬ブックの次週号が出る頃にはまたひとつ年齢を重ねる。残された人生が日々少なくなっていくのを実感するようになっている時期でもあり、その点はご容赦願うことにしよう。デビュー2年目の武豊にG1初勝利をプレゼントした菊花賞(1988年)をはじめ、天皇賞の秋春連覇(89年〜90年)と一時代を築いたスーパークリークは、先日惜しまれてこの世を去った同い年のオグリキャップと4度死闘を演じ、2勝2敗と互角の成績を残した名ステイヤーでもあった。よし、もうすぐ会いに行くから待っててくれ、タカシ。久しぶりに会ってスーパークリークが活躍した頃の話をしようぜ。
競馬ブック編集局員 村上和巳