2010年 ワールドC雑感
日本の夢が実現する瞬間に立ち会うべくテレビにかじりついたエルコンドルパサー(1999年)やディープインパクト(2006年)の凱旋門賞。どちらもレース後はホロ苦い思いで酒を飲んだ。サッカーも同様で“ドーハの悲劇”の夜(1993年)は深酒をして泥酔。前回のワールドCドイツ大会では“サッカー不毛の地・日本のゲームは見ない”と宣言しながらこっそりテレビ観戦。悪酔いした。にもかかわらず、今回のカメルーン戦はゲーム前からテレビの前に坐り込んでバーボンの水割りをチビチビ。正統派酒飲みから“酒の種類はともかく、なんで水割りやねん。ストレートかロックが常識やろ”と突っ込まれるのは覚悟の上だった。過去に経験した悪夢のような二日酔いは避けたいとの気持ちと、翌日の定例会議でみっともない姿を見せたくないとの想いが重なり、アルコール度数の低いジャックダニエルを選んでわざわざ水割りにした。いわば深謀遠慮だったのだ。これなら翌日に頭痛に悩まされずに済むと考えたあたり、まだまだ足りないとはいえ、少しは学習能力も身についた。
3杯目の水割りを飲み干した頃に始まったゲームは落ち着いて見られた。というか、エキサイトする場面がほとんどない凡戦だった。前半は双方ともに引いて相手の出方を窺ってばかり。緊迫感もなければ迫力もないままに進行。カメルーンといえば組織力や持続力には欠けても個々の選手の身体能力の高さでそれを補って余りあるのが本来の姿。今回のチームはトラブル続きでベストメンバーではないと耳にしていたが、あれほど相手が地味だと日本にもチャンスは出てくる。そう思った矢先に松井→本田とつないで先制点。この段階で日本の勝ちか引き分けかが予測できた。ゲーム終了後は司会者、解説者が誇らしげに日本チームの活躍を称えた。それはそれで構わないが、私が見ている地域では勝利インタビューの途中から音声が完全に途切れて閉口。中継番組も尻切れになって全般に盛り上がりを欠いた。それでも水割りを6、7杯飲んで2度ほど怪しげな雄叫びを上げ、「もう真夜中よ」と家人にたしなめられたのはいつもの年とそう変わらなかった。
以前、某局の特番で“ワールドCとは?”と尋ねられた中田英寿元日本代表が“日本人であることを最も意識する瞬間”と答えていた。近年、日本人であることを誇らしく思える機会が減っているとはいえ、五輪や野球のWBCといった世界最高峰の舞台での戦いとなるとやはり血は騒ぐ。気の早い一部のマスコミはもう決勝トーナメント進出が決まったようなトーンだが、カメルーン戦で日本が放ったシュートは僅か5本だけ。相手を震え上がらせるような豪快なものは皆無だった。かといってスピード感溢れるドリブルで相手ディフェンダーを切り裂くような突破力もない日本のオフェンス陣のレベルを考えると予選突破は厳しそうだ。そうはいいながら、19日のオランダ戦もまた酒を飲みながら観戦することになるのだろう。過大な期待はせずにエリア(デンマーク戦で才能を示したエルエロ・エリア選手)あたりのプレーに再度雄叫びを上げたい。
『勝利を掴むためには“勝ちに行かない”サッカーが有効だというのはなんとも皮肉な話だが、スローペース症候群とも揶揄される現在の中央競馬のメリハリの少ないレースにも同様のことがいえそうだ。各馬が流れに乗って綺麗な競馬をするのはそれで結構だが、大逃げを打ったり大胆不敵とも思える追い込みに賭けたりする勝負競馬が見られなくなっているのは寂しい。勝負の激しさ、勝負の儚さが伝わってくればこそレースがより奥深いものになると思うのだが、そんな風に考えること自体がもう時代遅れなのだろうか』
この欄では4年前のドイツ大会についても取り上げ、個人的にMVPを選ぶならイタリアのファビオ・カンナバーロだと書いた。その時の締めの部分が上記の括弧内の文章である。実は今回も思うまま文章を書き流したところ、細部の表現こそ微妙に違うが、組み立ても主旨もほぼ同じ内容になった。人間の本質などそう変わるものではないとはいえ、呆れつつ書き直す結果となった。最近は年々こういったケースが多くなっている。このコラムの担当になって8年目、そろそろ区切りをつけるべき時期が近づいているようだ。
競馬ブック編集局員 村上和巳