Reins (手綱)が 活動開始
週刊競馬ブック5月31日発売号のヒューマンドキュメント“もう一度、馬と生きたい”をどれくらいの方に読んでいただいただろうか。取り上げたのは元調教助手・福留健一さんの人生。3月3日にアップしたこのコラムでも簡単に取り上げたが、彼のことは20年ほど前、つまり調教助手になって間もない頃から知っている。お父さんの幸蔵さんも清水久雄厩舎で馬に携わっていた人物で、“裸足のシンデレラ”と呼ばれて人気を集めた1991年のオークス馬イソノルーブルを担当されていたときには取材上で何度かお世話になった。真面目にして穏やかな人柄で取材陣に好かれていた幸蔵さんには自慢の息子がいた。それが健一さんである。
ここからは普段通りの呼び名“ケンちゃん”と表記させてもらうが、当時私が担当していた坂口正大厩舎にやってきた彼は競馬学校を出たばかりの新米調教助手。一方の私は30代後半、つまり彼よりふた回り近くも年長の競馬記者。あれこれうるさく取材する鬱陶しい存在だったはずだが、いつも快活に対応してくれる姿には好印象を抱いていた。目立ったのは人柄の良さだけではなく聡明さも含めた彼の人間的な奥行きの深さ。キャリアを積む毎に騎乗技術もメキメキと上達し、気がつけば坂口厩舎の期待馬の調教は彼が一手に引き受けるようになっていた。キングヘイロー、デュランダル、メイショウカイドウには専属で跨り、マヤノトップガンも引退前の4ヶ月間は彼が付きっきりで稽古をつけた。業界用語で言えば“乗れる調教助手”だった。
ケンちゃんが調教時の落馬で脊髄を損傷して車椅子生活を余儀なくされたと知ったのは一昨年の秋。“馬乗りが馬に乗れなくなる”─そう考えただけで言葉が出なかった。内勤になってからはしばらく会っていないことを言い訳に見舞いにも行かなかった。というか行けなかった。たとえ彼と会ったとして、一体なにができるか。そう考えるとただ無力感に襲われた。数ヶ月後に偶然出逢った坂口正大調教師に事故当時の状況やその後の様子を尋ねると沈痛な面持ちで詳細を説明してくれたが、愛弟子の事故は師匠にとっても大きな心の傷として残っていた。後日、耳にした話だが、“馬に乗れなくても事務員として雇用する”と職場復帰を勧める坂口調教師に対して“気持ちは嬉しいが、定年まであと2年半しか残っていない師匠に負担をかけたくない”とケンちゃんはその申し入れを辞退したという。互いを気遣い合う師弟関係を知って私までが辛くなった。
医者から「あなたはもう一生立つことも歩くこともできません」と宣言されたときは自らの命を絶とうと考えたという。衝撃の大きさ、受けた痛手は言葉で表現できるようなものではなかったはずだが、絶望の底に突き落とされながらも新たな人生にチャレンジしようと気持ちを切り替えられたのは、本人の強靭な意志だけでなく周囲の人々の献身的な支えがあったからこそ。そして新たな道を模索する彼に声をかけたのがJRAの角居勝彦調教師だった。「競走生活で結果を出せなかった馬の行き場をつくるとともに、その馬で人の心や体を癒したい」とする調教師と「障害を持つ人たちの役に立ちたい。そして、もう一度馬と関わり合いたい」とする元調教助手の気持ちがひとつに結ばれて障害者乗馬を支援する団体・Reins (手綱) が誕生した。
5月26日、NHK大阪のテレビ番組でも“障害者乗馬のネットワークづくりをめざす元調教助手”として活動状況が紹介された。画面に登場する角居調教師や福永祐一騎手、そして馬房で人参を食べるヴィクトワールピサについての説明が一切なかったあたりはいかにもNHK的だが、水口乗馬クラブで1年半ぶりに馬に跨り、「凄い。(馬の背中って)こんなに揺れるんだ」と漏らすシーンは感無量だった。「苦しいことも楽しいことも、ずっと馬を通じて学んできた」人間だからこそ、いつも馬に携わって生きたいと考えるのが自然なのだろう。全国に点在する障害者乗馬やホースセラピーの組織をネットワークで結ぼうとする計画は想像以上に難しそうだが、馬を愛し人の痛みが判るケンちゃんが事務局長を務めるReinsなら実現可能ではないか。どれだけのことができるかは判らないが、馬に携わる人間のひとりとして今後も活動を支援したいと考えている。
競馬ブック編集局員 村上和巳