不健全のすすめ?
ここ数年、私と同世代の人間が鬼籍に入ることが珍しくなくなった。昨年亡くなった忌野清志郎さんは同い年で、先日訃報が流れてきた小林繁さんは私よりひとつ歳下。プロ野球選手としては華奢な体つき(実際は筋肉の塊だったようだが)ながら、サイドからの個性的な投法で139勝を挙げて一時代を築いた記憶に残る選手。“空白の一日”で知られる1978年の江川卓投手との突然の交換トレードは中高年野球ファンには忘れられない出来事であり、私の巨人嫌いが生涯揺るがぬものになった瞬間でもあった。引退後は解説者、スポーツキャスターなどを務め、2008年からは北海道日本ハムファイターズの2軍コーチとして若手の育成に尽力。今年から1軍コーチへの昇格が決まっていた。才能豊かというよりは自意識の強さに象徴される強靭な精神力で頭角を現した人物と捉えているが、指導者として実績を残しつつある段階での死は無念だったはず。
浅川マキさんはたしか私よりもひと回り近く年上のはず。ライヴ公演のために訪れた名古屋のホテルで倒れたのが最期と聞いたが、もう少し歌い続けて欲しかったとの思いはある。しかし、40年以上もの長きにわたって生涯一歌手として独自の世界を構築してきた彼女を思い出すと孤独なラストシーンさえも自己演出だったのではないかと考えてしまう。それだけ存在感のあるシンガーだった。この人の存在を知ったのは寺山修司演出による新宿・蠍座での公演が評判になった1968年。前衛、退廃、そして滅びの美学といったものを漂わせる独特の歌声は世間知らずの高校生だった当時の私の心に沁み渡った。先日、YouTubeで『夜が明けたら』『かもめ』『ふしあわせという名の猫』『赤い橋』といった懐かしい曲を次々に聴いていくと時間の経つのを忘れた。CDの音質に対する不信感があって近年は新譜を出していなかったとの噂だが、いつも全身黒ずくめのファッションで囁くように人生の翳りを歌い続けた彼女の姿を忘れることはないだろう。
このふたりの死は“心不全”として伝えられているが、心不全とは心臓の機能が衰弱した状態を表す言葉で、その原因としては心筋梗塞、心筋症、弁膜症、心筋炎といったあたりが主に挙げられる。極限のスピードを求められる競走馬も調教やレース中に心臓疾患で死亡するケースがあり、それを防ぐには周囲の人間たちの日常的なケアが必要となってくる。その昔、循環器系のチェックは血管の張りや体のむくみなどを調べ、あとは心電図計で調べるのが基本だったが、現代は血液検査やエコー検査を導入するまでに進化していると聞く。しかし、だからといって心臓疾患が激減しているわけでもない。勤続疲労にストレスが重なって突然に異変が起きる場合には手遅れになることも少なくない。そのあたりは人間もサラブレッドもほとんど変わらないが、言葉や態度で体調不良を説明できないサラブレッドの健康管理は我々が想像する以上に難しい。
実はこの私もずっと心臓に違和感を抱きながら生き続けている。動悸が激しくなったり脈が飛んだりするのは少年時代から延々と続いており、過去には1日24時間ずっと心電計をつけて検査したこともある。昨年も1年間に3度循環器の検査を繰り返したが、これまでに一度として異常が認められないまま40年以上が経過。どの医師も判で押したように“心室性期外収縮で経過観察”と診断するだけ。夜中に不整脈で息苦しくなって目醒めることもそう珍しくないが、日常生活にはほとんど支障がないため放置したままで現在に至っている。しかし、重病を患ったり亡くなったりする同世代の人間が増えていることを考えるといつまでも心穏やかではいられない。歳を積み重ねる毎に体の機能が衰弱していくのはごく当たり前のことなのだから。
最近になって煙草(体に有害)や馬券(ゴール前で動悸が激しくなる)との付き合いを見直そうかと似合わないことを考えたりするが、このふたつと縁を切ると週末は全身にストレスが蔓延するだけ。60年近くも不健全で好き勝手な人生を送っておいて今更健康第一の生活に切り替えようとする発想自体に無理がある。昔から“憎まれっ子世にはばかる”“悪い奴ほどよく眠る”といった俗諺があり、“無責任な奴ほど長生きする”(作者は私)とも思う。早世を惜しまれるのはそれまで生きてきた世界に意味のある足跡を残してきた人物に限られる。流れに身を任せて怠惰に生きてきた私のような人間はこれからも享楽的に生き続けるのだろうと楽観している。せめて外れ馬券を買って落胆する回数だけは減らすよう努めたいが、これがまた難しい。
競馬ブック編集局員 村上和巳