牟田雅直記者が 本紙予想担当に
年末30日に出社して業務の区切りをつけ、その後このコラムを書き上げた。年明けは2日の午後から出社して週刊誌の特集原稿を書き上げるつもりだったが、大晦日、元旦と心も体も完全に緩めてしまったために会社に向かう気になれず、結局は自宅にこもってパソコンに向かうことになった。自分を律することができない怠惰さは今年も健在だ。3日からは普段通り出社して業務に取り組んでいるが、帰省していた息子と「仕事、相変わらず大変そうやな」「いや、自分で好きで選んだ仕事。こんなもんだ」との会話を交わした。この業界の主役は生き物のサラブレッドであり、人間の都合だけで日程調整はできない。厩務員や調教助手といった日々馬に接する人間たちは大晦日も正月もなく世話に追われるのだから、その大変さはとても我々の比ではない。
3日が仕事始めで5日が金杯。翌6日は週刊競馬ブックの発売日であると同時に次週の3日間競馬のスタートでもあり、いつも通りに追い切りがあって調教班、取材班は休みなしでトレセンへ。内勤組も同様に年頭から延々と仕事オンリーのハードな生活が続き、11日までの9日間で実に4日分の新聞と2冊の週刊誌を作成する強行軍となった。普段は曜日単位で業務に取り組んでいる我々にすれば変則開催のこの時期は頭が混乱しがち。「今日は何曜日だっけ?」「土曜日だけど(業務処理上は)金曜日でもあるような」といった訳の判らない会話が飛び交う始末。日を追って周囲のスタッフの表情にも疲労が蓄積されるが、それでもファンファーレが流れると雰囲気は一変。全員が新聞片手に真剣な面持ちでテレビの前に集まってくる。
「村上さん、例のやつ、いきます。え〜と、3、11の2頭軸で相手は1、5……の30点」 「おう、久しぶりにきたな。よ〜し、1点100円として3000円だぞ」
発走寸前に私に声をかけてきた牟田雅直記者は社内で1、2を争う馬券大好き人間。知っている馬さえいれば中央、地方不問、オープンでも下級条件でもお構いなしに参加。オッズを確認してパソコンで馬券を購入。レース毎に一喜一憂する。仕事上の都合で現場に行けなかったこの日はPATに残高がなかったのか、必殺“口張りゲーム”を挑んできた。馬券を買わずレースを見るだけでは満足できない彼が連番と金額を発表し、私がJRAの代理としてそれを受けるのがこのゲームの基本。勿論“ノミ行為”ではなく、損益が一定の基準値を超えると、本来なら支払いに回る人間が相手の業務を少しだけ手伝う約束になっている。レース毎に「次、いきますよ」「よっしゃ、いつでもこい」と騒々しい会話を繰り返していると、「買う方も買う方ですけど、受ける方も受ける方ですね」との山田理子記者の冷静なひと言が胸にグサリと突き刺さる。たしかに30代後半の男とアラ還世代のオヤジのやることではないが、我々のこの口張りゲームは十年以上の歴史がある。
誤解されないように断っておくが、牟田記者は単なるギャンブル狂ではない。馬券に熱中するのは馬の能力や状態を見抜く目が人並み以上に優れているとの自負があるからこそ。普段はトレセンで馬の動きや気配を観察する調教班として活躍し、競馬場では“次走へのメモ”を担当しているが、人手が足りないときにはレース後のインタビューも楽々こなす。“見て聞いて書いて”と3拍子揃ったセンスの良さが持ち味。土日の競馬場ではいつも10人前後の出資者を募り、集まった運転資金を彼独自の判断で馬券運用する。つまり、牟田は“一攫千金会社”の社長も兼任しているのだ。出資者数は日によって変化するが、レギュラー参加者が多いのは社として頻繁に利益を生み出している実績があるから。その昔、私も嬉々として配当を受け取った記憶がある。
今年から牟田記者が競馬ブック当日版の本紙予想(古馬500万、1000万の平場が主)を担当することになった。前半の4日間が終わった段階での感想を聞いたところ、「まだ納得できるような結果が出せていませんが、焦らずにジックリ取り組みます」との返答があった。常に明るく前向きな彼のこと、近々我々を唸らせるようなクリーンヒットを飛ばしてくれることだろう。読者の皆さんにも是非注目していただきたい。
競馬ブック編集局員 村上和巳