2010年もよろしく
この会社に勤める前、つまりロック喫茶の店主兼使用人だった頃は有馬記念の時期になると憂鬱だった。音楽好きな若者相手の店で客層はミュージシャンの卵、学生、正体不明の人物が入り混じり、社会人はごく少数。社会にうまく適応できない不器用な人種が多かったが、気の合う人間とは公私の区切りのない付き合いをした。つまり、当時は朝昼晩と必ず周囲に誰かがいる賑やかな生活を送っていた。しかし、冬休みに入ると学生たちの大半が帰省し、年末年始には近隣に住む人間たちも家庭に帰る。店を開けても閑古鳥が鳴くばかりで休業するしかなかったが、日銭で細々と生計を立てる人間にとってこの期間の休業はキツかった。そして問題は金銭面だけではなかった。どこといって行くアテのない私は時間を持て余すばかり。独りで過ごす年末年始はいつも疎外感に襲われた。レンタルビデオ店もなければコンビニも携帯電話もなかった時代の話である。
そんなときに足を向けたのが地方競馬だった。最初は興味本位で、あくまで暇つぶしになればとの思いで園田競馬場に行ったのだが、雑踏に流れるイカ焼きの匂いや予想屋のオッチャンの搾り出すような声が心地よく、馬たちが走る姿も手を伸ばせば届くのではないかと思えるほど近い距離で見られた。新鮮だった。それからは時間ができると馬が走っている場所を探して姫路、春木、紀三井寺、笠松、名古屋、大井と、どこへでも出掛けた。馬券で稼いだ記憶はあまりなかったが、自分の居場所が見つけられずにいる人間にしてみれば雑然とした競馬場がかえって落ち着ける場所だったのかもしれない。屋台に売っている食べ物ひとつを取っても地域色に溢れており、常に整然としたJRAの競馬場では味わえない独特の雰囲気も気に入った。
競馬記者になってからもしばらくは年末になると地方の競馬場へ足を運んだ。仕事で行くJRAの京都、阪神では体感できないノンビリとした温かい雰囲気を求めてのことだったが、当時から各競馬場に活力がなくなる予兆を一ファンとして感じていた。ほどなく家庭を持った私は地方競馬に出向く機会が減っていくのだが、最近は古い櫛の歯が抜け落ちるように廃止になる公営競馬が増えており、体力のある一部の地域を除けばこれからもその流れは止まりそうにない。地方競馬の将来について考えると、地方組織や自治体単位での運営では現状維持が精一杯であり、JRAとの更なる連携が必要となってくる。馬資源が豊かで裾野が広くなければ競馬というピラミッドの頂点が高くならないのは自明の理だが、JRA自身も売り上げ減との戦いが続いており、競馬を取り巻く環境が好転するような材料が見つからないのが現状。厳しい時代はまだまだ続きそうだ。
27日に有馬記念が終わり、今年のJRAの全日程が終了した。有馬記念が12月の最終週に移動してからは年末の休みがなくなり、東京大賞典も生で観戦できなかった。最近はますます地方競馬巡りが難しくなっているが、その分、暇を持て余すことはなくなった。この原稿を書いているのは30日の午後で、東京の企業に勤めている息子から間もなく帰省するとのメールが届いた。いささか騒々しくなりそうだが、年末年始ぐらいは少々賑やかな方がいいかなとも思う。東西金杯からスタートする2010年の競馬シーンがどんなものになるかは判らないが、ファンが胸を焦がすような素晴らしいレースをたくさん見たい。そして、ゴールめざして疾駆する馬たちの姿を通して競馬の素晴らしさをこのコラムで紹介できれば嬉しい。2010年もどうぞお付き合いください。
なお、この原稿の次回の更新は1月13日となります。
競馬ブック編集局員 村上和巳