先日、近くの図書館へ行ってカードを作った。書類に住所、氏名、電話番号を記入して身分証明書と一緒に提出すれば済む簡単な作業なのだが、日程が折り合わなかったというか、機会を逸してついつい登録するのが遅れていた。このカードができたことで市内にある19ヵ所の図書館のどこででも簡単に本が借りられるようになり、まず最初は1970年代に書かれた女性作家の作品集を読むことにした。ここ半年ほど近所の本屋を何軒か回っても見つけられず、Amazonででも取り寄せようかと思っていたのだが、館内の図書検索機ですぐに発見できた。その日は全集2巻も借りることにしたが、書籍以外にもCDやDVDがそれなりに揃っていてパソコンや携帯電話からでも予約申し込みができるとのこと。いまの時代を考えればそれも当り前なのだろう。
図書士の方ともいろいろ話をしたが、以前に比べると図書館を利用する人が確実に減りつつあるそうで、そのあたりにも時代の変化が感じられる。日本では携帯書籍に人気が出ているとの話は知識としてあったが、海の向こうの米国では電子書籍がかなりのスピードで普及しているとのこと。ソフト面も年々充実する一方で最近では重さが300グラム程度の端末さえあればいつでもどこでも読みたいときに読みたいものが手に入れられるという。経費も本を買うよりは安価とのことで、この1年で売り上げはそれまでの5倍、約20万台にも達しているというから、近い将来日本にもその波が押し寄せるのは確実。アナログ人間の私は自分の部屋に収納できなくなった書籍類を年に一度整理しているが、電子書籍を使うようになればそんな手間暇は不要。たしかに便利にはなるが、本棚に並んだ本を眺めてあれこれ想いに耽ることができなくなるのは寂しい気もする。
以前にも何度か書いているように都内の出版社に勤務する友人は紙離れのこの時代に悪戦苦闘しているが、事態が改善されることはまずないと冷静に分析する。新聞社に所属する知人も現在の状況、将来への見通しの厳しさを訴える。苦戦しているのは紙媒体だけではない。個人的に最近のテレビ番組の内容のひどさには辟易しているが、不況で大手企業が宣伝費を縮小している背景もあり、有力スポンサー不在でテレビ局も製作費の削減を余儀なくされている。自ずと経費を節約できるクイズ番組やギャラの安いタレントを集めたトーク番組を増やさざるを得ないのが実情。もともとテレビはそう見ない方だが、最近はBS中心で地上波はニュース、スポーツ中継、ドキュメンタリー以外はまず縁がない。見たいと思える魅力ある番組が少ないのだ。
時代が確実に変化しているのは競馬業界も同様で、かなり前から新聞、週刊誌に対する需要はせいぜい現状維持といったところであり、若い世代をターゲットとした携帯電話やパソコンの活用へ徐々にシフトチェンジしつつあるのが現状。小社でも携帯サイト“競馬ブック0nLine”や、ネット上での“競馬ブックWeb”や“競馬ブックWebライト”といったデータベースを作成して新たな時代への適応を図っているが、どの程度ファンのニーズに対応できているのか判断は難しい。私あたりが古びた頭で次代について戦略を巡らせたとしても有効な対策を生み出す可能性は極めて低く、今後目指すべき方向性や自らのモチベーションを見失いがちになるが、間違いなく言えることがひとつ。どんな時代になったとしても正当な競馬観の下に整然とした文章で評論や批判を展開する存在が必要であるということ。表現媒体は変化しても競馬マスコミとして果たすべき責務は変わらない。個々の馬体をチェックしてレースをつぶさに観察し、その戦いを見終えて感じたことを発信する。そんな地道な作業を繰り返すのが我々の果たすべき役割であり、それはこれからも変わらない。
さて、今週は2歳女王の座を争う阪神ジュベナイルフィリーズが、そして来週は中山で2歳牡馬チャンピオンを決める朝日杯フューチュリティステークスが行われる。このふたレースから2010年を担うどんな新星が誕生するのか興味は尽きないが、見守るファンの胸をときめかせるような素晴らしいレースを見せて欲しい。どんな時代を迎えたとしても、魅力溢れる馬が存在する限り競馬が力を失うことはないのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳