土曜日の午前中に競馬場のスタッフから「原稿用紙がなくなりそうだから、後発部隊に持ってくるよう伝えてくれ」との電話が入った。現在は大半の原稿をPC(パソコン)通信でやりとりしており、原稿用紙を使用する人間、つまり手書き原稿をファックスで送ってくるのはほとんどが60歳以上。編集30名ほどのなかでも4、5人、比率で言えば全体の2割弱だ。手書きだと印字部で改めてそれをデータに打ち直す手間暇が生じるため、ここ10年ほどは社としてPC使用を奨励。最近になって50代以下にはやっとそれが定着してきた。
私が競馬ブックに入社した1970年代後半は勿論手書き原稿全盛でファックスもまだ現代ほど緻密で充実した機能がなく、新米の私は大きくて重い当時のファックスを抱えて会社と競馬場を往復するのが最初の仕事となった。現場から社へ原稿を送信する作業も当然請け負ったが、文字が滲んだり途中で切れたりするトラブルが続出して頭を痛めた。その当時、“ハリーファックス”という競走馬がいた記憶があるのだが、そんな馬名がつけられた時代背景を考えれば通信状況がいかに不安定だったかが推察できるだろう。
そんな時代の取材記者だった私だが、手書きからワープロに切り替える時期は意外に早かった。業務だけなら手書きだけでも十分だったが、ある時期から自分なりの資料をつくることを思いついた。血統表や各馬のデータなど、その気になれば競馬の資料は山ほど必要となる。しかし、そこで問題が起きた。バランスが悪く意志の弱そうな文字しか書けない私は資料が肉筆として残ることを嫌悪。80年代後半から覚束ない指さばきでワープロに取り組んだのだが、それが結果としては正解。時代の変化に最低限は対応できた。
しかし、2002年に内勤になると状況は厳しくなった。それまでは現場取材した短い談話を書くだけの立場だったが、長文を書いたり他人の文章の校正をしたり。外部の執筆者の原稿にまで目を通さなくてはいけなくなった。“初校”“再校”といった言葉は外国語みたいなもの。“校了”なんて言葉も殆ど知らなかった。原稿についての基礎知識や書き方の基本について先輩デスクから特訓を受けたが、一朝一夕に身につくものでもない。単に頭脳レベルが低いだけでなく、年齢的なものもあって物覚えが悪くストレスがたまった。
とはいえ、毎日、毎週、毎年同じトレーニングを繰り返すとどんな人間でも少しは慣れるものらしく、最低限の機能しか使えないにせよ、PCを利用するようになって加筆修正、文章の入れ替え、部分削除などの作業効率は画期的にアップ。数年後には内勤の編集者見習いぐらいの職責は果たせるようになった。さすがに文章力は向上しなかったが、こればかりはキャリアで補える種類のものではないと諦めていた。
環境の問題なのかごく稀にPC通信ができなくなる場合があり、現場から手書き原稿が届くこともあるが、それに目を通すとひと昔前にタイムスリップした感覚に陥る。体験入社でやってきた学生諸君が「記号か暗号みたいで全然読めません」と絶句したように、小社編集部には悪筆のスタッフが少なくない。その昔、“圏内”と書いた手書き短評が印字部を通過すると“園田”に変わったり、片仮名が漢字に変わったりするのは日常茶飯事。校正する側も大変だった。最近増えているのはPCの変換ミスで“敗者”が“歯医者”になったり、“脅威”が“驚異”だったり。前者は誰が見ても気付くが、後者は文脈によってはそのまま見逃しがち。どんな時代になっても最終的に人間が関与する限りミスはつきもの。そう言い訳して逃げ切っているが、このコラムを書き始めてもうすぐ丸7年。ミスが多く校正担当者に迷惑をかけ通しなのが申し訳ない。
競馬ブック編集局員 村上和巳