「おそらく史上初の競馬関係者出身の弁護士。90年代、競馬ブック取材記者を経験。99年に退社。その後、モラトリアムを楽しんでいたが、法科大学院になぜか第1期生として合格してしまい、本人に何ら自覚のないまま法曹を目指すことに。法科大学院卒業の年には新司法試験に合格。08年弁護士登録。現在は、京都・四条の法律事務所に在籍」
このプロフィールは週刊競馬ブック10月19日発売号に掲載する“おもひでの名勝負”を担当された人物のもの。ご覧になって気づかれた方もいらっしゃるかと思うが、執筆されたのは新進気鋭の弁護士・福岡壮一さん。90年代に小社現場取材記者として活躍した人物で現場時代の記憶をもとに1994年の菊花賞を取り上げ、三冠馬ナリタブライアンと管理していた大久保正陽調教師への想いを凛とした文章で綴った秀作である。ナリタブライアンのファンの皆さんだけでなく、できれば多くの方に目を通していただきたい。
ご存知ない方のために記者時代を含めた彼の印象を独断で書き殴ってみよう。入社して間もなく厩舎取材班となった彼は最初から突出したポテンシャルを示していた。それも、ただデスクワークが優れているといった世間的な秀才ではない。誰もが手を焼く頑固な古老調教師を数週間で苦もなく手の内に入れたかと思えば、我々が3年、5年かかってなんとか理解した競走馬の専門知識を極めて短期間に身につけてもいた。才気煥発な人間であると同時に正義感の強い真っすぐな若者でもあった。私がそんな彼と酒を酌み交わすようになるのにそう時間は必要なかった。それからしばらくはオッサンと若者との奇妙な交流が続いた。
6年ほどが過ぎたある日、「突然ですが、会社を辞めようと思っています」と彼から相談を受けた。彼が私の周囲から姿を消すとなると公私ともに大きなダメージが残るが、それはあくまで私自身の都合。逡巡しながらも「お前だったらどんな世界でも生きていける。やりたいようにやるのがいいさ」と答えていた。少々屈折した心理があるにせよ、この言葉は本音だった。30歳にして新たな人生を踏み出すのは想像以上に厳しいだろうが、それができる人間だと信じていた。持てる才能を存分に生かせる環境を見つけるべきだとも思った。ただ、苦しんでいる後輩に対してここ一番で力になれなかった自分自身が歯がゆかった。
彼が会社を去ってからも年に何回かは声をかけて酒を飲んだ。独りで新たな進路を模索しはじめた相手にできるのは一緒に酒を飲むことぐらいしかなかった。心配をかけまいと明るく振る舞う彼だが、ときには憔悴した表情で黙々と飲み続けることもあった。そんな酒の席でも例外なく関心を示すのはやはり競馬の話題だった。数ヶ月後に退職すると決めながらも、夏の札幌で担当した本紙予想で見事に黒字を計上して結果を出したように、どんな状況下でも流されずに職責を全うする人間でもあった。いまでも「取材記者をしていた頃がいちばん楽しかった」と述懐するが、競馬の魅力に取り憑かれた人間ならばこその言葉ではある。
今年の春、誘われて烏丸御池にある店で飲んだ。「やっときちんと報告できる形になりました」「うん、よかったな」そう話すと互いに次の言葉が出ず、しばらくは無言で酒を飲んだ。人は彼に対して随分回り道をしたと言うかも知れないが、世の中には遠回りをした人間にしか見えないものもある。豊富な人生経験はきっと彼を優秀な弁護士に育てあげることだろう。ひと区切りついて「以前に話した原稿、書いてみないか」と問う私に「僕でよろしければ」と受けた彼。「勿論、慣れ合いの安っぽい依頼ではなく、正統な競馬観と筆力の裏づけがあると確信しているから」と改めて説明した。週報の自分の最後のコラムで読者に対して“では、御縁があればまた何処かで”と締めくくった以上、その後を読者に伝えるべきではないかとの気持ちもあった。
今後は多忙を極めるだろうし、いままでほど気楽には顔を合わせられないだろうが、もし気分転換がしたくなったらいつでも連絡しておいで、福岡。ぶらっと競馬場に出向くのもいいし、酒でなにかを紛らすのもいい。時間が許す限りは付き合うから。それともうひとつ、知っての通り競馬サークルには改善すべき問題が少なくない。法律の専門家で内部事情に精通する君ならより有効な解決策を提起できるのではないか。あくまで機会があればの話だが、いささか体力が落ちている競馬を立て直すためにも力を貸して欲しい。
競馬ブック編集局員 村上和巳