岩手競馬マガジン・テシオの編集長松尾康司さんが栗東へやってきた。面識こそなかったが、週刊競馬ブックに原稿を書いていただいたこともある岩手を代表する競馬ジャーナリストのひとり。10月12日(月)に盛岡競馬場で行われる南部杯の取材が目的で栗東トレセン入り。30日昼に小社編集部で顔を合わせて名刺交換。ラフな服装にセミロングのくせ毛がなんとも味があり、思わず「ヴィジュアル的には他人と思えませんね」と嬉しがる私に「いえいえ、そちらの方が髪の毛の量が多いですよ」とソツなく返す彼。こちらの方が年上でも馬の話をはじめるとそんなことはまるで関係なし。南部杯出走予定馬の近況や気配などについて意見交換した。
午後からは時間に余裕があったので同氏を乗せて車でトレセンヘ。折角だからとまずは栗東の坂路コースに案内。小雨が降っていてもまるで怯まないあたりはさすが鍛え上げた取材者だ。坂路をひととおり見てからは有力馬の1頭サクセスブロッケンを取材すべく藤原英昭厩舎へ。現地に着いて軽くスタッフに挨拶していると背後から突然声がかかる。「おう、生きとったか村上」「いや〜、半世紀ぶりやないか(笑)」と冗談を交わし合ったのは藤森和徳厩務員。イエラパ産駒のオーバーレインボーでダービーに挑戦した年(1980年)に週刊競馬ブックの当時の連載コラム“厩務員さんこんにちは”で彼を取材。それが縁で親しくなった人物だ。あれから約30年。年齢こそ重ねてきたが、互いに口が悪いのは昔とちっとも変わっていない。
他にも顔見知りのスタッフがいたが、周囲でワイワイやっていると取材の邪魔になると挨拶をほどほどに済ませてその場を離れた。それからは近所の厩舎を覗くのだが、想定の確認をするでもなければ談話を聞くでもなく、馬房をウロついて自分が気になった馬の話を聞くだけ。途中から馴染みのベテラン厩務員の担当馬とじゃれ合っていると「土曜○レースの未勝利に俺の馬使うんですが、強いのいます?」と若手厩務員から声がかかる。土日の想定表は持参したが、能力表のゲラなどあるはずもない。「う〜ん、A(優先出走順位を決める基準)が何頭いるからそれなりのレベルやけど……」と曖昧な返事をしていると、「聞いてもアカン。この人、ただウマヤに遊びにきてはるだけやから」とのベテランのひと言がグサリと胸に突き刺さった。
それからも様々な冷やかしの連続攻撃を受けながら、負けずにそれぞれの相手にアドリブを返していると、突然背後から「ついに現場復帰か、村上さん」と音無調教師まで茶々を入れてくるではないか。「今更復帰しても誰も遊んでくれんでしょ。それよりも、出てきましたね、新星モルガナイト。いまや秋華賞の有力馬ですな」と切り返すと、「相変わらず口の回転だけは誰にも負けへんな」と相手も譲らない。そんな会話を横で黙って聞いていた若手スタッフの一人は“一体誰やねん、この正体不明のよく喋るオッサンは”と苦々しく思っていたことだろう。厩舎関係者の皆さん、忙しい時間帯の水曜午後にいろいろお騒がせしました。
2日間にわたってトレセンを精力的に動き回った松尾さんは「お陰で来る前に考えていた以上の取材ができました」との言葉を残して盛岡へ帰って行った。立ち会って思ったのは、馬の個体や気性といった基本イメージをしっかりと頭の中に叩き込んだ上で、個々の馬にとって今回のレースのポイントは何なのかを絞り込んで取材していた隙のなさ。元現場取材記者だった私にすれば久しぶりの刺戟的な場面だった。12日に行われる南部杯で彼がどんな予想をしてどんな文章を書くのか。いまから楽しみにしている。
最後に、「できれば南部杯の歴代優勝馬の話も聞きたい」(松尾氏)との希望を実現すべく橋渡しを買って出た際に協力してくれた三人にもお礼を言っておきたい。調教開始直前の慌ただしい時間帯に取材に応じてくれたマモル君(石橋守騎手、1995年ライブリマウント)、交流競走のナイター競馬終了後にもかかわらず時間を割いてくれたヒデ(幸英明騎手、2006年から3連勝中のブルーコンコルド)、突然の電話取材を快く受けてくれた勝己さん(安藤勝己騎手、2003年アドマイヤドン、2005年ユートピア)。みなさん、協力ありがとう。
競馬ブック編集局員 村上和巳