北区中之島の大阪国際会議場には初めてやってきた。2000年に国際貿易センターの跡地に建設されたこの建物は国際会議の会場として知られているが、2754人が収容できるイベントホールはコンサートや展示会に幅広く利用されている。今回訪れた目的は米国のDerek Trucks BandとDoobie Brothers Bandとのジョイントコンサート。前者は現代の三大ギタリストと呼ばれる若手ヒーローが率いるバンドで、後者は1970年の結成以来メンバーチェンジを重ねつつ(4人が鬼籍に入っている)現在も活動中の私と同世代のグループだ。
当日待ち合わせたのは某大学の教授。昔からの友人で私の誘いにふたつ返事で乗ってくれた。前半の若手ギタリストはテクニック自体は素晴らしいが、方向性が理解できずに戸惑った。このあたりが所謂ジェネレーションギャップなのだろう。しかし、後半に“Doobie”が登場すると即スタンディング。テンポよく切れのあるサウンドは健在。格好よさに引き込まれた。ただ、我々の席が端だった影響もあるのだろうが、全体に音が割れ気味で音響が今イチ。できるなら厚生年金会館かフェスティバルホールでやって欲しかった。
コンサート終了後はキタに出て見知らぬ店に飛び込んでの宴会。昔から一党一派に属さず自分のスタンスを守り続けてきた彼。これまでの付き合いで私利私欲にこだわる場面を一度として目撃したことがなく、俗っぽい処世術には一切無関心。そんな人物だからこうして長く付き合えるのだが、互いに世間的な出世、成功、名声といったものとは無縁だろうと考えていた。しかし、彼は固辞していた学部長就任を最近になって受け入れていた。詳細は聞かなかったが、組織の現実や人的な問題を考え抜いた結果なのだろう。「少子化に不況による就職難が重なった大変な時代。でも、自分なりに務めは果たすつもり」との言葉には重みがあった。
次元は違うにせよ私にも似たような体験がある。ラジオの解説をしていたその昔、テレビのパドック担当に移動せよと責任者から指令が出た。即座に断ると相手は信じられない様子でこちらを見た。現在は共存共栄状態にあるが、当時は社としてラジオよりテレビに力を入れる転換期。その方針に異論を唱える人間が出るとは考えられなかったようだ。「パドック診断なら他に適性者がいます。競馬を自由なテーマで語れるラジオを続けたい」と説明。責任者は呆れつつ私の主張を受け入れた。生涯自分にこだわりつつ現場主義を貫くはずだった私だが、2001年暮れの内勤への移動指令には最終的に従った。周囲は驚天動地といった面持ちだったが、組織に属する人間には本意か否かにかかわらず、立場を考えて動かなくてはいけないときがある。
JR大阪駅午前0時発の終電に乗ったが、家の近くまでたどり着くと馴染みの店の提灯が明るいのを目撃。暖簾をくぐった。カウンターに“幻の焼酎・百年の孤独”があったのでロックを注文して口に含むと懐かしい香りが広がった。何年か前、ある雑誌に同郷の友人のことを書いた。直接伝えられそうにない言葉を文章に書き、その掲載誌を送ったところ、お返しとして届いたのが百年の孤独だった。ウィスキーに近い独特の柔らかな香りが気に入って2、3日でボトルを空けた。私には格別の思い入れがある銘柄だ。その友人は「不況で社員に無理を強いている以上、管理者もなにかをすべき」と煙草をやめた。経済的な事情で禁煙するスタッフの増加に対する配慮もあったという。件の大学教授にしてもそうだが、もう我々は感性だけで突っ走れる世代ではない。そんな当たり前のことを改めて考えながら二杯目のロックグラスを飲み乾していた。
競馬ブック編集局員 村上和巳