誰が名づけたのかこの秋の連休はシルバーウィークと呼ばれている。世間ではやれ5連休だ、6連休だと盛り上がっているが、競馬サークルでは逆に休日返上のハードスケジュールになるのだからキツい。とりわけ関西地区では競馬新聞が出ない金曜日、開催がない土曜日と続き、いささか間延びした印象を否めない週末となった。本来は勤勉な我が編集部でも、こんな日程になるとどうしても緊張感が途切れて時間を持て余しがち。そんなときに限って部内のモチベーションを下げるべく率先してアホな発言の口火を切る人間が組織にひとりぐらいはいるもの。先週も当然のように職場の寡黙な雰囲気を乱す人間が現れたのである。
村上「そういえば、ニットウチドリ(※1)って馬がいたな。桜花賞なんて憎らしいほど完璧なレースだった。あの頃の関東馬ってのは本当に強かったし、層も厚かったもんな」 長岡「キシュウローレル(※2)がニットウチドリに負けたときは悲しかったな、俺」 大坪「ニットウチドリか、懐かしいね。桜花賞の枠連は3─7だった。最近のレース結果なんかはすぐ忘れてしまうけど、あの頃のことは克明に覚えてる。人間の脳って不思議なもんだね」
キシュウローレルについては昨年3月のこのコラム“永遠の命”でも取り上げている。デビューから他馬を寄せつけず5連勝して桜花賞馬決定と騒がれた快足牝馬だが、TR、本番ともに関東馬ニットウチドリに完敗。小社長岡利幸記者もその敗戦に衝撃を受けたと話すが、ほぼ同世代の私にすれば気持ちはよく判る。現代にキシュウローレルが出現していればその走りや血統背景から違った評価をした可能性もあるが、競馬をはじめたばかりの世代にとっては負けようのない不世出の快足馬と思えた。この会話に関西TV解説者の大坪元雄さんが加わり、更にベテランの藤井嘉男、中野秀幸の両記者までが参加すると時代はひたすら昔へと遡る。
大坪「走る労働者って呼ばれて人気を集めていた馬もいたね。なんて名前だったっけ」 水野「(即答で)トウフクセダン(※3)ですよ」 藤井「おったな、ワシも覚えとる。セダンの子供でタフさが売り物やった」 村上「(PCで検索して)いや、セダンはブルードメア。ネヴァービート産駒でした」 藤井「そやったかいな。意外に最近の血統やったんやな」 長岡「距離を問わず、いろんなレースに出てきた記憶がある」 中野「個人的にはファインローズ(※4)が勝った金杯が記憶に残ってる。何年やったかな」 坂井「(PCで検索して)1969年です」 中野「タニノハローモア(※5)が勝った七夕ダービーも懐かしい。あれは、え〜と……」 坂井「(PCで検索して)1968年。たしかに、7月7日に行われたダービーに勝っています」
とまあ、こんな風に延々と昔話に花が咲いたが、同じ編集部内の小原靖博、甲斐弘治、山田理子、三浦幸太郎、羽生佳孝の各記者は一切言葉を発せず黙々と机に向かっていた。内心「飽きっぽいお喋りなオッサンがひとりいるせいで、なんか雑然としてきたな」と思っていたことだろう。まあ、シルバーウィークぐらいは少々の騒がしさは我慢してもらうとして、競馬歴が40年近い私でもタニノハローモアやファインローズは書籍や古い映像でしか知らない。にもかかわらず遥か歳下の水野隆弘や20代の坂井直樹が平然と会話に加わるのには驚かされた。というか、彼らふたりが我々“アラウンド還暦”世代の記憶違いや事実関係の間違いを修正してくれたからこの昔話がスムーズに成立したとも言える。観点を変えれば、年齢差を軽々と乗り越えて語り合えるところに競馬の奥深さがあるとも言えそうだ(汗)。種牡馬ネヴァービートを“最近の血統やったんやな”と漏らす藤井記者のひと言も味があった。1987年から90年まで国民的ヒーローとして活躍したオグリキャップは私の意識下では現代馬の範疇。それぞれの人間の競馬とともに生きてきた年月によって時代の区切りは違う。
※1 1970年生 21戦6勝 桜花賞、ビクトリアC(1973年)含め重賞3勝 ※2 1970年生 15戦7勝 重賞2勝 ※3 1973年生 56戦7勝 重賞3勝 ※4 1965年生 35戦14勝 重賞4勝 ※5 1965年生 30戦9勝 ダービー(1968年)含め重賞4勝
競馬ブック編集局員 村上和巳