普段の通勤はジーンズにラフなシャツ姿。夏場はこれに必殺アイテムのサンダルが加わるともう無敵。誰が見ても会社員とは思わないだろうが、人間は見かけではなく職能性の高さで評価されるもの。そう言い聞かせてこのスタイルを守っている。競馬ブック栗東本社は基本ノーネクタイで服装の自由が認められている。とはいっても現場以外の男性社員の多くは小奇麗なシャツにスラックス姿。大半の人間が革靴を履いているように皆さん常識派だ。そんな環境にもめげず日々を気楽な服装で過ごす私が飛び抜けて浮いた存在なのは間違いない。それに加えて春までは背中まで伸びたロン毛をくくってまでいたのだからなにをか況やである。
周囲との服装のギャップは入社時から延々続いているが、それは社内だけの問題ではない。1970年代のトレセンにはまだジーンズ姿が希有で馬乗りは調教時には乗馬ズボン、それ以外はトレパン(現代の幼児用パンツではなく、体操服の一種)姿が主流。世間の若者の間では金ボタンのブレザー、ボタンダウンのシャツ、細身のスラックスでまとめる“アイビー”人気が根強く、少し上の世代には“ニュートラ”(和製英語のニュートラディショナル)が幅広く支持されていた。どちらにも馴染めない私は自己流を貫くしかなかったが、新米としてトレセンに出入りした途端、「作業着ちゃうんか」とジーンズ姿を睨まれたり、「女みたいな髪型や」と髪を引っ張られたり。そんなことは日常瑣事で不本意ながら本業以外の分野で妙に目立つ記者だった。
それから数年が経つとジーンズ姿で調教に跨る人間が増えてきた。なかには足首や膝の内側に皮を張った(騎座の内側を補強)実戦的でお洒落なジーンズまで登場。やっと普通に取材できる環境になったと実感した。更に数年が経過して各社の後輩記者がトレセンや競馬場に出入りするようになるとジーンズ人口は急増したが、そうなると今度は新たな問題が生じた。上下ともボロボロに擦り切れたデニム姿が目につくようになったのだ。泥まみれになって走り回るトレセンならそれでいいとして、開催日の競馬場でもその姿では記者としての品格が問われる。折しも第1回JCが開催される前後の時期で下見所で馬を曳く厩務員にも正装を求める声が出始めていた。そして専門紙協会も“開催日はジーンズ禁止、スーツ、またはジャケット着用”と決めた。
土日といえば競走馬にとっては晴れの舞台であり、スタッフにとっても厳粛な勝負の日。取材者側もそれなりの緊張感を態度や服装で示すべきだと私自身も賛同した。ただ、困ったことがひとつ。ネクタイ嫌いの私にはまともなスーツがほとんどなかったのだ。いろいろ対策を練った結果、ある裏技を思いついた。当時の年配者の意識ではジーンズ=ブルージーンで、カラージーンズやコーデュロイパンツ(当時の名称はコール天)は対象に含まれていなかった。そこでラフなスリーシーズン用のジャケットを1着購入し、夏は持っていたの薄手のカラージーンズ、冬はコーデュロイパンツを着用して一時期を凌いだ。振り返ってみるとなんと見苦しくも貧しい時代だったのかと呆れるが、本質はいまもなにひとつ変わっていないような気がする。いまや騎手も厩舎スタッフもお洒落で個性的なファッションを上手に取り入れて楽しむ時代になっているというのに。
社を代表するような偉〜い立場にあるわけはないが、歳を重ねた分、社命を受けて外部の初対面の方々と顔を合わせる機会が増えており、そんなときはスーツを着ている。先日の宇都宮訪問や6日の小倉競馬場遠征時も薄手のラフなニットタイを締めた。何度締めても首回りが窮屈で肩も凝るが、相手に敬意を表するためには時に正装も必要と最近は諦めている。そんな私だが、昨年夏にあるスタッフに服装上の注意をした。「いくら35度を超える猛暑だからって、社内で半ズボンはいかん」と伝えたのだが、それを知った昔からの友人が「服装について説教した?お前はそんな立場にないだろう」とすぐに食いついてきた。「ジーンズも半ズボンもそう変わらん」というのが彼の意見だが、私にすれば“ジーンズは最後の一線、半ズボンはそれを越えている”とのこだわりがある。この判断、私が間違っているのかといまもちょっぴり悩んでいる。参考までに書くと、一瞬半ズボン姿になったのは外回りの男性。女性がホットパンツ(死語かな?)姿になったわけではない。
競馬ブック編集局員 村上和巳