7月1日からJR西日本の駅構内が全面禁煙になった。それまでは各ホームの端に言い訳程度に灰皿が置いてあり、そこが名ばかりの喫煙所だった。吹きっさらしで雨を凌ぐ屋根もないその場所には極力行かずに済ませていたが、全面禁煙になると知ってからはホームに立つと無性に煙草が吸いたくなるのだから人間心理とは不思議なものである。もともとがせっかちな性格で少々苛つくと次々に煙草に火をつけてしまう悪癖があり、6月下旬には喫煙所との別れを惜しむかのように煙草の本数まで増えていた。周囲の若者世代には「“昔の人間が煙草喫ってたなんて信じられない”って呆れられる時代がくるぞ。いや、もうきているのかも」と禁煙を勧めているが、自分自身はまったくその気がなく、いまでも日に20本入りをふた箱ほど喫っている。こんなチェーンスモーカーの私だが、ここまでの人生で一度だけ真剣に煙草をやめようかと思ったことがある。
厩舎回りをしていたその昔、気に入った馬ができると鼻面や顎を撫で回して遊んでいた。もちろん、厩舎の建物に入るには許可が必要で、馬房の前に立って馬に触れるなんて本来は許される行為ではない。というか、取材者とすれば関係者の仕事の邪魔をしないのが基本だが、年中厩舎に顔を出しているともうスタッフの一員みたいになってくる。馴染みの厩務員さんに「触っていい?」と聞けば「こいつ、すぐ咬みにくるから気いつけや」といった注意があるくらいでほとんどOKが出る。まずは鼻面を上下に軽く撫でるスタイルからスタートするのが基本だが、これは初心者レベル。顎(横顔)を愛撫できるようになる(咬まれる可能性あり)と中級者で、厩務員さんがよくやる横から鼻面を抱え込んで頬ずりするパターン(余程大人しい馬でないと難しい)が上級者となる。上級者としてハグができた馬は数えるほどで気性が荒く顔には触れさせない馬もそれなりにいた。数十年前だからこんな行為が許されたのだろうが、貴重な厩舎取材の時間帯に一体私は何をしていたのだろうか。
毎日を馬房で過ごす馬にすれば寝ている時間帯以外は退屈なようで物音がすると馬栓棒で仕切られた空間の上部から顔を出す。飼葉の調合がはじまると前脚の爪で地面を叩いて早くくれと催促したり顔を突き出してヒンヒン嘶いたり。人の気配がすると大半の馬は顔を出すが、私がいつ行っても奥を向いたまま巨大なヒップ(トモ)しか見せない馬がいた。呼んでも両耳を一瞬こちらに向けるだけで振り向きもしない。なんとかこの馬とスキンシップをと連日通っても効果がない。見かねた厩務員さんが「好物やからこれで気引いてみ」と縦に細長く切った人参をくれることもあったが、顔を出すのは口に運ぶときだけでその最中でも一切顔には触れさせない。食べるのはさっさと奥に引っ込んでからであとはまるで知らん顔。恋人に振られたように落ち込んでいると「この馬な、煙草の匂いが嫌いなんやと思う。ワシ以外でも煙草喫わん人間には結構なついとるから」との言葉。それからは本数を減らしたり丸1日休煙してみたりしたが、体全体にニコチンが染みついているせいか結果は変わらない。もう煙草をやめるしかないかと考えているうちに、その馬は引退して牧場に帰って行った。
いまから思えば、あの馬がもう1年、いや半年でも長く現役生活を続けていれば煙草との縁が切れていた可能性はある。そんなどうでもいいことを思い出しながらこの原稿を書くべくPCに向かっていると、ついさっき封を切ったばかりの20本入りの煙草の箱が空になろうとしている。酒を飲んだり原稿を書いたりしていると信じられないほど煙草を喫ってしまう。健康管理は自己責任であり、そろそろ真剣に禁煙に取り組むべきかなとも思うが、煙草に依存せず原稿を書くとすればこれまでの倍以上の時間を費やすのは確実。精神衛生上からもこのまま喫い続ける方がいいと結論づけて勝手に納得している。喫煙人口が激減している現代は煙草嫌いの馬が確実に増えているのだろうが、もう厩舎へ行って取材をすることもそうはない。これまでの人生も決して流れに乗れていたわけではないのだし、こんな時代遅れの人間が少しぐらいはいてもいいだろう。
競馬ブック編集局員 村上和巳