阪神開催が終わって今週から小倉が開幕。札幌競馬に向けて井尻、小原、橋本、甲斐の各記者が北海道入りして1ヶ月ほどになるが、今週月曜日には牟田、足立の両記者が小倉入り。いよいよ北も南も本格的な夏競馬に突入である。出張先の宿泊場所といえばホテルが一般的だが、最近は社によってワンルームマンションを利用するなど、それぞれがより快適な生活を求めていろいろ工夫している。競馬関係者には各競馬場内に調教師、騎手、調教助手専用の寮が備えられており、厩務員は馬房の両端に寝泊まりできる場所(キッチン、トイレ、シャワー室つきの部屋)がある。その昔はほとんどのスタッフがそういった専用の施設で寝起きしていたが、最近は一般のホテルを利用してそこから競馬場に通うといったパターンも少なくないようだ。それぞれが自由な過ごしやすい生活スタイルを模索してそれを実践しているあたりは時代の流れなのだろう。
私が最初に出張を経験したのは30年以上も前の暮れの中京競馬。当時は名鉄中京競馬場前駅の近くに寮があって専門紙記者はそこで寝泊まりしていた。しかし、寮とは名ばかりで駅前商店街にある店舗の二階に和室が幾つかあるだけ。新米に与えられた窓から隙間風が入り込む暗い部屋で寝泊りするとすぐに風邪を引いて高熱が出た。しかし、私以外に調教時計を採ったり関係者のコメントを聞く人間がいない。連日朦朧としながら通常業務を処理して援軍がくる開催日まで持ちこたえたが、こんな環境ではやってられんと土曜朝に辞表を書いた。それを先輩に渡すつもりだったが、その日は朝から馬券が馬鹿当たり。一気に熱も引き、辞表を書いたのも忘れて夜は名古屋の繁華街を走り回った。結局は私が寝込んだことが引き金となって翌年から社としてホテルを利用することになるのだから、私はその寮の最後の利用者になった。その寮にはなぜか門限があって時間に遅れると電柱を登って二階の窓から部屋に入ったこともあった。金欠になると今度は騎手寮に遊びに行って賄いのおばちゃんに朝飯を食べさせてもらったりもしたが、時代錯誤とも思えるあの頃の記憶がちょっぴり懐かしい。
私が北海道の出張スタッフになった頃は開催が札幌→函館の順で、当時は双方に寮があった。最初はいい歳をした男どもがひとつ屋根の下で寝食を共にするのかと想像するだけで気が重くなったが、札幌、函館で同室になった先輩は限りなく明るい人間で休日でも追い日でも彼が夜に寮にいることはまずなかった。つまり私は広々とした個室を独占できたのである。競馬記者としての仕事は最低限しかしなかった彼だが、馬券の勝負強さには定評があり、馬券で稼ぐとネオン街をよく連れ回された。競馬場でもひと夏に一度は馬券で大勝して記者席にいる各社のスタッフを一列に並ばせた。なにをするかというと、ご祝儀という名目で各人に1万円ずつ配るのである。なかには一旦受け取って改めて列の最後尾に並ぶセコい奴もいたが、「誰だ、2度も手を出すのは。ひとり1万円までだぞ」と看破されて記者席に笑いの渦が巻き起こった。私の手取りが10万円強だった時代の話である。長く出張生活を続けていると途中から料金を払えなくなってホテルを追い出され、野宿したり知人のところに転がり込んで生き延びる人間もいたが、そんな連中でも朝の調教には普通に顔を出して仕事をしていた。破天荒というか無頼派というのか、当時はそんな人種が周囲にはゴロゴロしていた。
私より年長か同年代の連中はそんな無茶苦茶な出張生活を続けてきたが、その次の世代あたりからは堅実で安定志向の強いごく常識的な記者が増えてきた。それは競馬がある程度社会に受け入れられるようになった時期と符号しており、いわゆる市民権を得た競馬に接することでその魅力に取り憑かれる人間が増えてきたということを意味しているのだろう。我が社の入社試験を受けにきた若者と話してみると最近は競馬ファンの親に勧められて応募したというケースがままある。それはそれでいいのだが、いざ仕事に就いて逆境に置かれるとその状況を自力で乗り越えられない人間も少なくない。どんなキッカケがあったとしても、やはり心底競馬が好きでないと続かないのがこの業界。同時に心身ともタフでないと勤まらないのはいまも昔も変わらない。
ここ数日の間に北と南に滞在している人間(調教師と騎手)からメールがきた。どちらも「パソコンに向かってばかりいないで遊びにきたら」というお誘い。話の流れや社交辞令で気楽に書いただけなのだろうが、読み直して札幌や小倉が恋しくなってきた。よ〜し、この夏は休暇を取って突然押しかけてビックリさせてやろう。私の気持ちに火をつけたのだから、そのときになって知らん顔をしても許さん。オッサンパワーを見せてやるぞ。と、ここまで書いて気付いたが、まずは馬券を当てて資金を捻出するのが肝要。北の小原、橋本、甲斐、南の牟田、足立よ、手頃な馬券があったらいつでも囁いてくれ。当たったら好きなだけ飯を食わしてやるぞ。
競馬ブック編集局員 村上和巳