1ヶ月半ほど前に会社の健康診断があり、覚悟していたとはいえ結果は数項目で要精密検査。こうした経験が初めてではないため大きな動揺こそしなかったものの、症状を具体的に知るとやはり気は重くなる。生来の不精な性格に加えて京都に引っ越してからは周辺の病院に対する詳しい知識がなかったことも手伝って、ここ3年ほどは定期検査もせず放ったらかしにしていたが、先日やっと重い腰を上げることになった。トレセンでは競走馬を一度診療所に連れて行って治療すると次からその道を通るのを嫌がるケースが少なくないとか。初めて歯医者に行った子供がそこで経験した痛みやつらさを記憶して次回から通院を拒むのと同様の心理が働くのだろうが、それと同様の感覚がある私は馬並み(と書くと部分的に曲解されそうだが)というか、幼児レベルなのかもしれない。とにかく医者嫌いで余程のことがない限り進んで病院に行くことなどまずない。
地下鉄東西線で西大路御池まで行く途中でも途中下車したくなったが、逃げ出したい気持ちと必死で戦いながらなんとか目的のクリニックに到着。久しぶりの内視鏡検査となった。幸いなことに数年前に見つかった胃のポリープは数ミリ程度のままで悪性に変異していないことが確認できた。厄介な問題に発展しなくてよかったとひと安心したところで、胃の内部を映し出したモニターを見ながらドクターの説明が始まった。「胃のポリープ自体は問題ありませんが、その周囲に赤い斑点みたいなものが確認できますね、ほら。これは慢性胃炎の症状です。それともうひとつ。十二指腸にポリープができていた跡があります。この部分です。おそらく自然治癒したものと思われますが、気づかずに悪性になっていたら厄介だったでしょうね」との言葉には驚愕した。
その昔、競走馬が骨折(軽微な剥離骨折などの場合)しているにもかかわらず、厩舎スタッフがそれに気づかずレースに使い続けた。後になって古い骨折の跡に気づき、その箇所が自然治癒していたと判って仰天したとの話を何度か耳にした。馬資源が少なかった時代は現代ほど短期間に馬の入れ替えが行われるはずもなく、少々コズんだり跛行したりしても筋肉注射を打って調教を数日休ませるだけ。ほどなく戦列に復帰していた。昔の馬は我慢強かったというか、我慢せざるを得なかったというべきか。私の場合もここ3年以内の時期にポリープができて、それが勝手に治っていたという事実には驚かされた。自分の体にまだ“自然治癒力”という動物的とも思えるパワーが残っていたことに感謝したが、いつまでもそんな力に頼れるものではない。
先週のこの欄でも書いたように長く競馬をしている方や競馬を生業にしている方にはタフで切り替えの早いタイプが多い。長く競馬を続けようと思えば次のステップに進むために馬券の負けを延々と引きずってはいられない。かといって敗因分析や反省もなしに突っ走るとそれが自滅にもつながり兼ねない。私も40年近くも競馬と向き合っているが、この歳になっても前週のダメージや購入資金の多寡によってスタンスが変化している。なかなか思い通りにならないのが競馬であり、だからこそこうして長く付き合えるとも言えるのだが。
ここまでダラダラとまとまりのないことを書いていると、脆弱で打たれ弱さの塊りだった若い頃の悲惨な記憶が甦ってくる。世間からはみ出した私がごく普通の人生を送れるようになっただけでなく、病さえも自力で治癒させられたというのはいささか信じがたい気がする。長く生きてきたことでブレーキの踏み方を覚えてある程度自分自身をコントロールできるようになったこともあるのだろうが、考えてみると競馬と巡り合ったことの影響も小さくはなさそうだ。現実と乖離した生活のなかで熱中できるものが他にはなかったといえばそれまでだが、それが結果的には幸運だったのかもしれない。これからも競馬との付き合いを続けるのなら少なくとも年齢を考えて定期的に検査ぐらいは受けるべきだろう。今年の上半期のG1レースでまともに当たったのは2点張りで的中した安田記念の3連単だけ。まだまだ修行が足りないと言わざるを得ないのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳