2000頭を超えるサラブレッドが毎日を過ごしている栗東トレセンでは程度の差こそあっても、ごく日常的に事故が起きている。馬自身が体調を崩したり怪我をしたりするだけでなく、世話をしている競馬関係者が噛みつかれたり蹴られたりするのも日常些事。そう珍しい出来事ではない。だから鎖骨や肋骨の骨折などは怪我のうちに入らない。落馬して肋骨が折れているのにギプスをしたまま調教に跨る調教助手がいれば、馬に踏まれて足の指を骨折しながら平気で普段通り世話をしている厩務員もいる。心身ともタフで我慢強くないと馬に接し続けることはできない。競馬関係者の置かれる状況は我々が考えている以上に厳しい。
最近になって馴染みの助手に聞いたのだが、トレセンでは昨年の秋に事故が続出していたという。1件目は調教中に指示に従わなくなった馬を叱ろうとステッキを入れたところ、その馬が馬鹿ついて大暴れをはじめてラチに数度激突。騎座がずれて宙ぶらりんになった助手は馬とラチにサンドイッチになっただけでなく、最後はラチの外のコンクリートの上に落とされてしまった。2件目はゲート練習を積んでいた馬がロープで仕切っている走路外へ逸走したため、助手はなんとか制御しようとしたものの、結局は振り落とされてしまった。そして3件目は普通キャンターを乗っていた馬が突然躓いてバランスを崩したため、その背にいた助手は大きく前につんのめって落馬した。こんなケースは後ろに落ちれば幾らかでも危険を回避できる可能性があるというが、前に落ちたため自分の乗っていた馬に胸を踏まれてしまったという。
サラブレッドを一人前の競走馬に育てるには人知れぬ苦労があるということは理解しているつもりだが、それぞれの事故の生々しい様子を耳にすると胸が痛む。2件目の助手は骨折で数カ月休んだ後に復帰しており、3件目の助手は肋骨の骨折と肺出血でしばらく休んだが、いまは元気に調教をつけているという。しかし、気の毒なのは1件目の助手で、その後の様子からすると職場復帰は難しいとのことだった。彼とは現場取材をしていた頃に何度となく会話をしたことがあり、真面目で誠実な人柄に好感を抱いていたものだった。馬乗りが馬に乗れなくなるだけでも辛いことだろうに、本人はもちろん、家族の方や関係者の心中を考えるといたたまれない気持ちになる。そして、その後もこの類の事故がなくなることは考えられない。
「馬に携わる仕事をしとったら事故や怪我はつきもんや。怖がってたら調教助手なんてやってられへんのは昔もいまも一緒。ただ、最近は馬の入れ替えのサイクルが信じられんほど早なっとる。新馬は2週間前にトレセンに入厩すればレースに使えるようになって、それ以外の馬は出走日から逆算して10日前に帰厩すれば出走OKや。若い馬や気の悪い馬を時間をかけて調教する暇があれへん。騎手にしたって、最近は一度も稽古に跨らんとレースに乗る人間が多なっとる。パドックで“この馬、ステッキ使ってもいいですか”って聞いてくる奴がおるくらい。それではいいレースなんてできんやろ。競走馬の絶対数が少なかった昔は何ヶ月も厩舎に置いて気長にいろいろ教え込めたが、いまの時代は馬数が多すぎてそれができん。馬資源が豊富になって血統も見違えるほどようなったが、そのぶんのツケが回ってきとる気もする。現行のシステムが真の意味で馬や人のためになっとるかどうか。サークル全体で考えないかんことも少なくない」
日々黙々と調教に跨り続ける調教助手は華やかさや晴れがましさとは無縁な存在。進上金ひとつとっても、賞金の8割はオーナーで、1割が調教師、残る5分を騎手と厩務員の取り分となっている。つまり、調教助手の存在自体が無視されているのだ。そのために、20年ほど前から調教師や厩務員の取り分の何パーセントかをプールして、それを助手や他のスタッフにも平等に配分するシステムを取り入れる厩舎が増えているが、当然のことだろうと思う。G1の表彰式にしてもそうだった。曖昧な記憶ながら、レース後に調教助手が表彰されるようになったのは1993年のジャパンCあたりからだったと思う。それまでは日常的な労苦を相応に評価されることがなかった。ゲートの悪い馬や口向きの悪い馬が多い厩舎は所属の助手が悪いとされ、行儀のいい溌剌とした馬が多い厩舎は腕のいい助手が揃っているからと考えるのが我々業界人の感覚。つまり、入厩馬の走りは乗り手のレベルに大きく左右されるのである。陽の当たらない舞台裏で競馬を支えている彼ら調教助手の人間としての尊厳を守るために、競馬サークルでは安全性を最優先して欲しいと切に願う。
競馬ブック編集局員 村上和巳