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先日、殺人などの重大事件を対象に法務省が時効期間延長や制度廃止について検討するとのニュースが流れた。時効期間については2005年の改正刑事訴訟法で延長されたばかり。殺人など“死刑に当たる罪”は25年、強盗致傷など“無期懲役・禁固に当たる罪”は15年に変わった記憶はあるが、どうやら制度廃止を求める全国犯罪被害者の会の申し入れに配慮する形で改めて見直しを検討することになったようだ。DNA鑑定などの科学捜査の進歩によって証拠の長期保全が可能となり、事件発生から長期間が経過したとしても裁判での犯罪立証は昔ほど難しくなくなっているいまの時代を考えると、時効制度の見直しは当然とも思える。
たいした法律上の知識もないままに刑事訴訟法関連の話題を取り上げたが、この時効という言葉にはいつも敏感になっている私。他人の肉体を損傷するような所謂“重大事件”を起こしたことはなくとも、意識の有無にかかわらず、自分の軽率な言動が原因で人の心を傷つけてしまったことなどは数え切れないほどあるはずだし、軽犯罪法に対する違反行為は掃いて捨てるほどやってきた。そんな私だから後悔の念を抱いている過去の事例は少なくないが、そのなかで競馬に関連して公表できる範囲の失態をひとつ紹介してみよう。
いまから20年ほど前、調教スタンド1階の控え室でひとりの騎手が山積みされた色紙にサインを書いていた。人気者の彼の前には連日たくさんの色紙が集められていた。「もう腱鞘炎になりそうで」と漏らしながらも音をあげずサインする姿には“競馬人気をメジャーにしたい”との強い意思が感じ取れた。しかし、憔悴した様子を見るに見かねて「手伝おうか」と申し出て一枚の色紙にスラスラと相手の名前を書いた。行書に近い癖のない文字は真似がしやすく、瓜ふたつのサインが完成していた。「これなら問題ありませんね。助かります。でも、僕以上にうまくは書かないでくださいね」と許可が出たこともあり、以降は暇を見つけて代筆をした。希望者の名前を入れ、日付けも入れて、ときにはひと言メッセージまで入れて悦に入っていた。
それから5年ほどが経過。出張で北海道へ出向いた私は飛び込みでとある寿司屋の暖簾をくぐった。例によって職種は明かさず一見客として飲み食いしていると、店内の壁に古びた一枚のサインが飾ってあるのに気付いた。思わず壁の一点を凝視する私に気づいた店主が嬉しそうに声をかけてきた。
「競馬ファンなら判ると思うけど、これは○○騎手のサイン。その昔、修業が嫌になって田舎に帰ろうかと思ったことがあって、やけになって競馬場に行って有り金を全部使ってしまった。その日はこの騎手が競馬で勝ちまくってね。いやあ、格好よかった。歳は違うんだけど名前は一緒。親近感が湧いてきて、俺ももう一度寿司職人として頑張ってみようと思った。それで競馬関係の仕事をしている知り合いに色紙を頼んでもらったんだ。このサインが届いてからは仕事も順調。ほんと、この騎手は私の人生の恩人なんだよ」
壁に飾られているすっかりセピア色になったその色紙は私が代筆したものに間違いなかった。その夜はホテルに帰ってからなかなか寝付けなかった。たかがサインの代筆だけじゃないかと考えても、店主の嬉しそうな言葉が耳元から離れなかった。しばらく葛藤を繰り返した後、私はその地域の開催最終日に一枚の色紙を携えて件の寿司屋に出向いた。運よく現地にやってきた騎手に本物のサインを書いてもらい、それを店主に渡そうと考えたのだ。真相を話すかどうかは流れに任せようと決めていた。しかし、なんとか探し当てて例の店の前に立ってみると玄関の壁に廃業を知らせる紙が貼ってあり、ドアは閉じられたままだった。隣近所の人に話を聞いてみると不況で店を閉じたのが1週間前とのことで転居先は誰ひとり知らなかった。
「信じるものは救われるって言うだろう。そもそも、お前のやったことはもう時効。気にしても仕方ないぞ」と事情を知る人間は慰めてくれたが、人助けのつもりでやったことが結果として誰かを裏切ってしまったのは厳然たる事実。自らの軽率さ、認識の甘さを恥じるしかなかった。勿論、それ以降は二度と代筆をしていないが、いまでも色紙を見かける度に当時の苦い記憶が思い出される。
競馬ブック編集局員 村上和巳