・オメガユリシス ・ゲットフルマークス ・シェーンヴァルト ・セイウンワンダー ・フィフスペトル ・ブレイクランアウト ・ホッコータキオン ・ミッキーパンプキン
12月16日、火曜日。午前11時半すぎに家を出ると12月中旬とは思えないほど風が暖かい。最短距離のいつもの通勤路ではなく、意識して遠回りの道を選んで地下鉄の駅へ向かう。めったに歩かない道筋なので左右に広がる風景が新鮮に映る。何軒かの家では2階から1階へとサンタクロースや雪だるまなどを模った電飾がスロープのように広がっている。ぼんやりと眺めていると昼間でもなんとなく愉しくなるのだから夜はもっと華やかで綺麗なのだろうと思いつつノンビリと歩を進める。ちょっとポカポカと暖かくなったりちょっと面白いものに遭遇するだけですぐに浮かれてしまう軽薄さが売りの私。せっかくの休日なんだから気の向くままぶらっとどこかに出掛けたいという遊び心が頭をもたげるが、今日は月一回の定例会議の日。そのあとも予定があるため、そんな浮かれる気持ちをグッと抑えて真っ直ぐにJR京都駅へと向かう。
4時間弱で定例会議が終了して今度は荒神口にある京都地方法務局へ向かう。会議があったのはJR京都駅の近くで、そこからだと京阪電車に乗るにしても地下鉄烏丸線を利用するにしても、それなりに歩かなくてはいけない。いつもなら会議場から駅へ徒歩数分の距離でもシャトルバスを利用するものぐさなタイプだが、この日はなんとなく気持ちが弾んで躊躇うことなく京阪電車の七条駅まで歩く。そこからは目的地の最寄駅までの切符を買ったが、またしても気が変わって三条駅で途中下車。久しぶりに鴨川沿いを歩いてみたくなったのだ。御池から二条へ、そして丸太町へとゆっくりと北上する。平日の午後という時間帯もあってか行き交う人たちは主婦や年配の方が多く、そのなかに外国人観光客の姿が目につくのはこの街ならではの風景。その雰囲気は私が初めて京都へやってきた三十数年前とそう変わっていない。その昔、京都は住むところではなくたまに訪れる場所だと考えていたが、気がつけばこの街に住み着いてもうすぐ2年になろうとしている。
法務局での用件(もちろんトラブル処理や移民申請ではない)が早く済んで時間に余裕ができたため、帰路は河原町通りをノンビリと歩いて南下。途中で横道に入り込んで昔馴染みの場所がどうなっているのかとあちこちを徘徊しつづけた。梶井基次郎の『檸檬』の舞台となった四条河原町の書店・京都丸善が店を閉じた話は3年前のこの欄で書いたが、あれからも活字媒体を扱う店舗は漸減しているようで、足しげく通った店のうちの何件かがDVDやBDのレンタルショップに姿を変えていた。しかし、古ぼけた街並みの一角に数十年のときを超えて残っている懐かしい古本屋を発見したときはもう感動モノ。思わず狭い店内に入ってその様子が変わっていないのを確認すると時間の経過を忘れた。京都といえば北へ向かえば向かうほど学生の街といった色彩が濃くなり、中心地からかなり外れた場所にも小さな書店や銭湯が散在していたもの。最近の休日は家でゴロゴロして怠惰にときを過ごしてばかりいる。今度の休みにはその昔走り回った百万遍や北白川通りあたりに出向いてみようかと思っているが、結局は寒さに負けて春まで待つことになるのだろう。
この日、京都市内の書店巡りをして思ったことがひとつ。とにかく競馬関連の書籍を扱っている店が少ないのである。何軒かには名ばかりの競馬コーナーが設けてあったが、並んでいるのは馬券本やごく限られた雑誌ばかり。「最近は出版社に競馬の企画を持ち込んでも色よい返事をもらえません。競馬ブームだった十数年前には編集者から“テーマは一任しますから、なにか競馬特集をお願いします”と依頼が続いたもの。競馬にとっては厳しい時代を迎えています」と知人の競馬ライターが話していたのを思い出す。ウオッカとダイワスカーレットが死闘を演じた秋の天皇賞に代表されるように競走馬たちが無心で全力疾走をしているのはいまも昔も変わらない。長くつづく競馬人気の低迷はその姿を見て感じて報道する立場にある人間にも責任の一端があるのかもしれない。十年一日のごとくありきたりの報道を繰り返すのではなく、競馬の真の魅力を伝える記事を発信するためにはなにが不足しているのか。我々が考えるべきことは少なくない。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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