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ある人物に7、8年ぶりで電話を入れた。目的は週刊誌用の取材の申し込み。十数年前に私の携帯電話に登録した相手の番号をそのままずっと残していたのは先々で改めて話す機会があるかも知れないと考えてのことだったが、当時は私が厩舎取材班で彼は騎手。この時期になってお互いに当時とは違う立場でこんなふうに会話を交わすことになるとはまるで想像していなかった。
村上 「突然お騒がせします。私、競馬ブックの村上ですが、○○さんでしょうか」
○○ 「はい、そうですが、ブックの……、ム・ラ・カ・ミ・さん?」
村上 「もうお忘れでしょうが、もと現場で取材させていただいていた者です。間もなく(調教師として)開業されますよね。その前に週刊競馬ブックでインタビュー記事を掲載させていただきたいと考えています。それで、そちらの都合をお聞きしようと電話を入れた次第なんです」
○○ 「嫌だなあ。ちゃんと覚えてますよ、村上さんのことは。用件も判りました。それよりも、その丁寧すぎる言葉遣い、やめてくれませんか。なんか知らないひとと喋ってるみたいだから(笑)」
村上 「取材を申し込むときいつもこんな感じなんですが、判りました。じゃあ昔の感じでいこう(笑)。あなたの都合のいい日時を教えてくれれば、それに合わせて取材者を行かせる。それでいいかな?」
○○ 「そうそう、その感じ、その感じ(笑)。やっとそれらしくなってきましたね。取材の件については了解しました。今後いろいろお世話になると思いますが、よろしくお願いしますね」
掌を返すように言葉遣いを変えたのは懐かしさを表現するとともに相手に慇懃無礼な印象を与えないようにとの配慮もあったのだが、電話を切った後で現場時代の自分についていろいろ考えてしまった。年下の世代にそう偉そうに振る舞ってきたつもりはないが、無意識のうちに被取材者に対して不快感を与える行動をとっていた可能性は十分にある。だとしたら、取材者だった頃の自分を大いに反省しなくてはいけない。それにしても、彼自身の誠実さにもつながる記憶力の良さについてはしみじみ感心させられた。
現役時代の彼は闘志は胸の奥に秘めて黙々と馬に跨るタイプの騎手だった。技術的にもそれなりのレベルにはあったが、勝負の世界で生きるには少々優しすぎたかもしれない。それともうひとつ、環境にも人間関係にも恵まれていなかったように思う。活躍を続ける新人の三浦皇成騎手を見れば明らかなように、一人前に育てようとする人間たちの愛情あふれるサポートがあればこそたくさんの勝ち星を積み重ねられるもの。弟子を抱える調教師は“まだ下手だからレースには乗せられない”といった発言をよく繰り返すが、デビューしてすぐにうまく乗れる人間などいるはずもない。最低2、3年は黙ってレースに乗せ続けることが騎手育ての基本。我慢強く乗せ続けなければ一人前の騎手になるはずがない。その点において彼は環境には恵まれなかった。所属厩舎の解散、落馬負傷などの不運も続いたことで騎乗馬が激減。結局は若くして騎手を引退したのだった。
2008年2月14日、JRAが発表した調教師試験の合格者に村山明の名前があった。栗東所属の合格者3名のなかでは最年少の36歳だった。猛勉強を続けているとの噂は耳に入っていたが、現役を引退して僅か1年ほどで難関の調教師試験に合格した頑張りには驚かされた。あれから7ヶ月が経過して、今月21日には正式に村山明厩舎が開業の運びとなる。騎手としてはJRA通算218勝、G1レースではサンフォードシチーとのコンビでの2着(2000年JCダート)が最高着順で華やかな舞台とは無縁だった彼が調教師としてどんな馬を育てるのか興味深い。そして、次に電話を入れるのは彼がG1レースに勝ったときにしようと考えているが、そのときの会話がタメ口になるか丁寧語になるかは前もって決めたりせず流れに任せようと思う。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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