・ヴィータローザ ・コンゴウリキシオー ・フィールドベアー ・マイネルチャールズ ・マツリダゴッホ ・マンハッタンスカイ
北京オリンピックも残すところあと僅かとなった。例によって貧乏暇なしで仕事に追われる毎日ではあるが、関心の高い競技があるときは業務の合い間に会社のPCでオリンピックサイトをさりげなくチェック。密かに一喜一憂している。そのぶんだけ退社時間が遅れるのは自業自得というもの。帰宅すれば帰宅したで今度はテレビに釘付けとなって熱中。必然的に睡眠時間が激減している。この流れが続く限り、今週あたりは極めて職能性が低下しそうだが、いわば自分で自分の首を絞めているようなもの。言い訳のしようもないが、四年に一度のオリンピックでもあり、スポーツ好き人間としてはこのパターンを変えられそうにない。あと数日、周囲の目を盗み、そして睡魔と戦いながら各競技に熱中しつつ通常業務も無難に処理しようと考えている。
各国の代表選手が組手を嫌って腰を引き頭をつけ合う柔道。おいおいレスリングやってるんじゃないぞとテレビに向かって呟くが、このスタイルが現代の“JUDO”の主流になろうとしている。日本代表が双(諸)手刈りや朽木倒しで一本を取られると、“あんな捨て鉢で品格に欠ける技は使うなよ”と呻くが、古くから認められている技なのだから倒された方が弱いだけの話。柔道五段で天覧試合で一本を取ったのを誇りにしていた父は“最近のJUDOは柔道じゃない”と残念そうだったが、亡くなってもうすぐ十年。父とは対極の貧弱な肉体と脆弱な精神しか持ち合わせていない私でさえ柔道を観戦すると苛立つのだから、父が今年のオリンピックを見たらなんと言っただろうか。“華麗さ”や“切れ味”を求める日本柔道の美学は目の肥えた外国のJUDOファンに根強い人気があると聞くが、ひとつの競技が世界各国に広がり、競技人口が増えるに従ってそのスタイルや本質が変化していくのは仕方のないところでもある。日本の柔道選手たちは“美しさ”や“潔さ”を胸に秘めつつも、“したたかさ”や“泥臭さ”を身につけなくてはいけない時代を迎えている。
陸上、競泳、球技といった人気競技と比べると格段に注目度の低い馬術競技だが、今年は法華津寛さんが日本五輪史上最年長となる67歳で馬場馬術に挑戦して話題を集めた。馬に関わる仕事をしていながら馬術競技についての知識はほとんどなく、1932年のロサンゼルスオリンピックで日本の西竹一陸軍中尉が金メダルを獲得したことぐらいしか知らなかったが、今年は法華津さんの映像がテレビで幾度か流れたのでそれに見入っていた。ごらんになった方も少なくないだろう。愛馬ウィスパーが馬場の近くにある大型スクリーンの映像を気にして立ち上がってしまうアクシデントが応えて35位と平凡な成績に終わったが、リズムを崩して立ち上がる愛馬をなだめながら淡々と競技を続ける彼の気品溢れるプレーには風格や年輪が滲み出ていた。そして、競技終了後のインタビューに対する返答もまた味わい深いものだったのでここで簡単に紹介してみたい。
「(67歳という最高年齢に注目が集まっていることについては)ある意味、不本意。年齢が高いから出場させてもらうわけではありません。でも、前より少しうまくなって出場できているという実感はあります。ただ、考えてみれば67歳という年齢以外に騒がれる要素は私にはないので、今では素直に受け入れてます」
60歳を過ぎてから家族を日本に残して単身でドイツに渡り馬乗りを続けた彼。定年を迎えてから新たに海外へ武者修行に出かけるというその意志の強さと行動力には感心させられる。しかも、“前回よりも今回の方が少しうまくなっている”と結果を出している点にも驚かされる。毎年、毎年、新聞や週刊誌の原稿を同じリズムで書き続けているが、一昨年より昨年、そして昨年より今年と確実に内容のレベルダウンを痛感している私。年々、肉体や精神に疲労を感じるケースが多くなり、結果としてモチベーションも低下。そんな自分に嫌気を差しながらも、これが年齢を重ねることと半ば諦めていた。しかし、馬術に懸ける私よりひと回り年長の人物の生き様を知るにつけ、最近の自分が少々恥ずかしくなっている。彼の域に達することはできなくとも、自分なりの目標を設定してなにがあっても年齢を言い訳にはしないこと。それができればもう少しまともな日常を送れるのではないか。背筋をピンと伸ばしたフォームで馬に跨り続ける法華津さんの姿にはこれまでの人生が凝縮されていた。我々熟年世代の代表として、彼には次なるロンドン五輪をめざしていただきたいものである。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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