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大阪・道頓堀にある飲食店“大阪名物くいだおれ”が8日を最後に約60年という長い歴史に幕を下ろした。最終日には大阪が生んだソウルシンガー上田正樹さんの特別コンサートをはじめとして、関西の著名人が集まって同店との別れを惜しむパーティーなども催されたとのこと。看板人形の“くいだおれ太郎”や店舗の跡地をどう利用するかについては複数の相手と交渉中で決定はもう少し先に持ち越されるようだが、この看板人形については商標権も含めて10億近い買い値がついているというから驚かされる。“くいだおれ太郎”といえば“かに道楽”の蟹やグリコの人形とともに大阪ミナミを代表するイメージキャラクターのひとつ。関西地域ではテレビ番組の舞台やCMの背景などとしても頻繁に登場しており、ものの良し悪しや好き嫌いを云々するレベルをはるかに超えた象徴的な存在として長い間関西の人々に親しまれてきたのはご存知の通りである。
私が最初に大阪界隈に足を踏み入れたのは1970年代前半。当時、馬券を買うとすればキタの梅田場外(JR大阪駅近辺)に出かけることが多かったが、都合で大阪球場の地下にあるミナミの難波場外(地下鉄難波駅近辺)に行くこともたまにはあった。キタで馬券を買った場合にはVICKS・BURGで一定時間を過ごし、ミナミまで足を伸ばしたときは天王寺のマントヒヒあたりに顔を出したりもした。どちらもブルース、ジャズ、ロックなどを専門にかけている関西地区では伝説的存在の店でコーヒーが250円、バーボンの類いは300円程度。数字だけなら格安の印象を抱くかも知れないが、なにせいまから40年ほど前で大卒の初任給が7、8万円(もっと少なかったかも)だった時代の話。世間のレベルからすると少々割高感はあったが、自分と似たような人種ばかりがたむろする空間は限りなく居心地よく、好きな音楽を聴きながら3時間でも4時間でも暇を潰せた。
年中馬券を買っていれば儲かることだってある。そんなときは仲間を呼び出してキタやミナミを飲み歩くのが常だったが、スポーツ好きの私は西宮球場や大阪球場で生ビールを飲みながらナイトゲームを観戦するのが最優先。観客が少なくノンビリ野球が見られるパリーグの球場がお気に入りで、試合が終了してからゆっくりと繁華街に繰り出すパターンが多かった。その頃には十分アルコールが体内に染みわたっており、ほとんど出来上がっていたのは言うまでもない。そんな時代に初めて見たのが“くいだおれ太郎”である。なんてことはないただの看板人形だが、方向音痴の私にとってはネオン街の目印として道に迷った際に何度か助けてもらった記憶がある。ただそれだけの関係ではあるが、見慣れて親しんできたものが姿を消してしまうのはなんとなく寂しい。VICKS・BURGやマントヒヒが閉店したと知ったときは自分の行き場を失ったような感覚になったが、その後、大阪球場も西宮球場も姿を消した。年齢を積み重ねる度に今後もこういった経験が増えて行くのだろう。
通勤途中のJRの駅でホームに立っていると特急サンダーバード(大阪─富山・魚津・和倉温泉)が入ってくる。新馬がデビューするこの季節になるといつも飛び乗ってどこかへ行きたい衝動に駆られる。もともと放浪癖があり、現場時代の二十数年間、夏場はずっと北海道か九州に出張に出向いていた私。この時期になるといまだに血が騒ぐようだ。調教中の記者席から漁火が見える函館競馬場。原油価格の高騰により現地ではイカ釣り舟を出す回数を減らしていると聞くが、今年も昼前になると競馬場にイカ売りの声が流れているのだろうか。2回函館が終了すると現在のスタンドが壊されて新たな競馬場に生まれ変わるとのことだが、狭くて古臭い建物ではあったが、ローカル色に溢れた懐かしい場所が消えるのもまた寂しい。休みを取って最終週あたりに顔を出したい気もするが、最近の業務日程を考えると実現は難しそうだ。秋でもないというのに、いい歳をして感傷的になるのもみっともない。よし、今年の函館2歳Sぐらいはビシッと馬券を的中させて気持ちの区切りをつけよう。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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