・ザレマ ・サンレイジャスパー ・ソリッドプラチナム ・ブリトマルティス ・ベッラレイア ・レインダンス
最近になってレース後の騎手談話のなかに“出して行った”という言葉が目につくようになった。ニュアンスからある程度はイメージできるが“ゲートを素早く出して積極的なレースをした”のか、それとも“ハミを掛けて攻める競馬をした”のか、はたまた“気合いをつけていつもより前でレースをした”なのか正確な意味が判らない。関係者が使っているからといって、我々でさえもきちんと説明できない言葉をインタビュー記事に加えられるものではない。まずはファンがその言葉、その表現を理解できるかどうかを考えなくてはいけない。競馬用語だとするにはまだ歴史が浅すぎる上にサークル内でどこまで浸透しているのかも把握できない。15年ほど前にも騎手間で感覚的なギャグっぽい言葉が流行してかなりの人間がそれを使うようになったことがあった。取材する側までが日常生活で使うほど一瞬に広まったが、その言葉は一年後には競馬サークルから消えた。いまから振り返ると業界用語として根付くまでの重みや必然性がなかったということだろう。言葉はこのあたりが難しい。そこで社としてのインタビュー記事では騎手たちの“出して行った”という言葉の扱いについて悩んだ。ほかの表現で置き換えられるものは置き換え、補足が必要なものには言葉を足した。
「騎手たちが“今日はゲートから出して行った”と言って、じゃあなにを出したのかと問いかけたら、感覚として多分それは“脚”なんだろうと思います。“仕掛けて(押して)位置を取りに行く”も広義としては似ていますが、彼らが言うのは、好発を切ったのにわざわざ控えて位置取りを後方にしてでも脚をためる、というのとは逆の意味で、“ここで小出しに脚を使ったら末の切れは鈍るだろうな”という局面でも、馬場や流れを考慮して馬任せで行かせる選択をしたケースを表現するのに非常に便利な言葉なのでしょう」
これは厩舎取材班で土日は週刊誌用のレースインタビューを担当している井上政行記者が騎手たちに取材してまとめた見解である。この説明を聞いて私なりにその意味を理解できた。つまり、“中途半端に動かず、折り合いに専念しての末脚勝負”とは対極にある騎乗の総称だということなのだろう。彼によると“出して行く”は一過性のものではなく、すでに騎手間に定着している言葉だという。そうなると今後の対応を考えなくてはいけない。もちろん、キャリアの豊富なファンの方なら前後の文脈でだいたいの雰囲気は把握できるだろうが、そうでないケースも十分に考えられる。この件について話し合った他の編集スタッフの一人からは「初心者のファンのなかには“今日は出して行った”の活字を見たら、それまではやる気がなくてここが勝負だったと解釈する人が出てくるかもしれない」との意見まで出た。考え過ぎの気もするが、あり得ない話ではない。
そこで今後は“出して行った”という言葉を活字にする場合にできるだけその理由を話し手に追加取材して補足説明してもらおうかと思っている。考えられるケースとしては“前走で控えるレースをさせたのにまったく結果が出なかった”“課題だった折り合い面にメドが立った”“道悪になると走りがバラバラになる”といった追加コメントが多くなると思われるが、こういった説明のあとに“(だから今日は)出して行った”の言葉がつながれば読む側もある程度は受け入れられるはず。細かいことをくどくどと書いたと思われるかもしれないが、あくまでファンあってのマスコミである。記事は正確にして判りやすくなければいけない。
私もかつては経験したが、レース後のごく限られた時間内に大半の騎手のコメントを集める作業は想像以上の苦労と手間が伴う。晴々とインタビューに答えてくれるのは勝った騎手だけ。残る騎手たちは無念さを引きずってどこまでも言葉少な。表情が強張って無言のままの人間も少なくない。そんな彼らから言葉を引き出そうとするのは至難。最近は漏らした言葉だけを活字にしている新聞記事が増えているが、あれではレースを観察した上で直接取材している意味がない。巧みな質問で騎手たちの深層心理や個々の人間性までをも引き出せてこそレースの奥行きの深さや戦いの激しさをファンに伝えられるもの。胃が痛くなるような場面に出くわすこともあるだろうが、現場取材班にはこれからも正確なインタビューをして味のあるコメントを引き出してもらいたい。彼らは一般のファンが行きたくても行けない場所で存分に取材ができるのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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