・ウオッカ ・エアシェイディ ・エイシンドーバー ・オーシャンエイプス ・カンパニー ・キストゥヘヴン ・ジョリーダンス ・スーパーホーネット ・スズカフェニックス ・ドリームジャーニー ・ニシノマナムスメ
1980年といえばオペックホースがダービーを勝った年。当時、オークスやダービーをめざす関西馬は早めに東京競馬場に入厩して本番へ向けて調整するのが常だった。入社3年目の1979年からこの時季の関西馬の取材を任された私は2週間限定で東京へ出張していた。オークス週のはじめからダービーが終わるまでの東京滞在は想像以上にキツかった。関西馬のすべてを直接取材しなくてはならない上に他の取材者は関東人ばかり。それもベテラン記者が多く気を許す暇がない。フットワークの軽さと明るさだけを武器に無視されても嫌味を言われてもひたすら全厩舎を走り回った。この時季の出張は大した成果を出せないまま終わったが、その後に調教師、調教助手、厩務員と深いつながりができるようになったのはこの時季の経験が生きているのかもしれない。
この年のオークスは5月18日に行われた。給料前で極限の金欠状態にあった私は関東の先輩記者から借金して人気薄の馬の単勝を買った。関西のある騎手が「ケイキロクに乗りたい」と言い続けていたのが妙に耳に残っていたのだ。道悪で行われたオークスは岡部騎手が跨った単勝22倍のケイキロクが勝った。珍しく馬券を的中させた私は赤貧から脱出。借金を返しても財布にはそれなりの金額が残った。オークスの翌日に関西からやってくる知人に東京案内を約束していた私。無一文でなにができるかと落ち込んでいたが、土壇場で奇跡的に資金調達に成功したのである。そして翌日の東京案内もプラン通りに終了。ダービーではオーバーレインボーを狙って完敗してしまったが、なんとか出張を終えて栗東へ帰ることができた。しかし、ダービーの翌週に栗東トレセンへ取材に出向くとある騎手から突然カウンターパンチが飛んできた。
「おう、帰ってきたか、裏切り者の村上。こっちはオークスでボロ負けして落ち込んでるってのに、お前は女の子と手つないで銀座歩いてたよな、チャラチャラと。覚えてるだろ、19日の夕方のこと」
馬上の声の主は伊藤清章騎手(現在は上野清章調教助手)。桜花賞馬ハギノトップレディ(2番人気)とのコンビでオークスに挑んだが、不得手の道悪に泣かされて17着に敗退。翌日、傷心の彼がタクシーに乗って東京駅に向かう途中で私を目撃したのがことの真相だった。知人とふたりで銀座を歩いていたのは事実だから否定しないが、手をつないでいたというのは見間違い。そう反論したが、相手は聞く耳を持たない。そもそも、私にとって銀座なんてまず縁がない場所。50代半ばのいまでも、女性と銀座を歩いたなんてこのときが最初で最後。生涯で唯一無二の瞬間にタクシーで通りかかる偶然には驚くしかなかった。しばらくは彼から“裏切り者”とか“チャラチャラ男”と呼ばれたが、途中で根負けして釈明をやめた。いまも馬乗りをつづける彼とはトレセンで稀に顔を合わせるが、さすがに当時の話は出ない。私の揚げ足を取ったり弱点を攻め立ててくる基本スタンスは相変わらずだが、それも言ってみればじゃれ合っているようなもの。旧友のような感覚で私も反撃している。
内勤になって6年目になるが、4年前から年に一度だけ銀座に出かけて一泊するようになった。週刊競馬ブックに執筆されているライターさんたちと小社編集部のスタッフとの懇親会が行われるようになったのがその理由。今年もダービー翌日の6月2日に50名ほどが銀座に集結した。ライターさん以外に放送関係者、JRA、地全協の方々も顔を出して下さって和気あいあいの楽しいパーティーになった。合い間に「一筆啓上を書くときはかなりテンションを上げることが必要です」(日経新聞・野元さん)、「オークスの翌日にはファンの方から(裁定について)かなりの数の問い合わせがありました。それに対して私どもも動いています」(JRA関係者)といった興味深い話も聞くことができた。「ライターの楠瀬です」のひと言で笑いを引き出した楠瀬さん(競走馬総合研究所─競走馬の心技体でお馴染み)をはじめ、それぞれの方のトークは実に軽妙。感心したり笑ったりしている間にパーティーが終了。そこから二次会、三次会と流れ、ホテルに帰る頃には日付が完全に変わっていた。
そして翌朝。目が覚めると朝8時を回っていた。昨夜の酒がかなり残って全身がだるい。冷たいお茶を飲んで煙草をふかしていると少しずつ前夜の記憶が戻ってくる。それからはしばらくバスタブにつかって体内の酒を抜き、荷物を整理してチェックアウト。ホテルから数分のオープンカフェへ。10時前でまだほとんど人影のないその店に入ってコーヒーを飲む。起きてからここまでの行動も目に映る風景も去年とまるで変わらない。休日の朝に誰ひとり知り合いのいない場所で怠惰に過ごすこの瞬間が結構気に入っている。そして5馬身差でオークスを勝ったケイキロクと泥だらけになって17着に敗れたハギノトップレディのことを久しぶりに思い出した。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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