・アドマイヤムーン ・インティライミ ・ウオッカ ・チョウサン ・ドリームパスポート ・ポップロック ・メイショウサムソン
・ヴァーミリアン ・サンライズバッカス ・ドラゴンファイヤー ・ブルーコンコルド ・メイショウトウコン ・ワイルドワンダー
「この馬Aをなんとか勝たせたい。セリで無理を言って買ってもらったんだが、数ヶ月前に捻挫してからは後遺症があるのか、どうもピリッとしない。稽古は水準ぐらいには動くのに、一度追うとすぐにコズんで歩様が悪くなる。追い切っては楽をさせ、使っては休ませ……。こんなことの繰り返しでなかなか勝てなくて馬主に合わせる顔がない。そこでアンタに頼むんだが、この馬で勝てるレースを探してくれ。幸いなことに、前走を使ってからはコズんだりせず元気もある。チャンスは今回しかないと思ってるんだが、どうだろう」
水曜午後の厩舎回りをしているときにある調教師から声がかかった。デビューから5戦して3着が1回あるだけで、残る4戦すべてが着外の成績しか残していない未勝利馬Aを勝たせたいというのだ。気持ちは理解できてもできることとできないことがある。Aが先頭でゴールを駆け抜ける場面などまず想像できなかったが、普段は見ることのない真剣な表情に気圧され「自信はありませんが、やるだけやってみましょう」と答えていた。会社に戻ってからはその週に行われる関西、関東、そして裏開催の福島で行われる3場の未勝利戦全レースの想定をチェック。どのレースにどの程度の有力馬が出走を予定しているのか徹底的に調べまくった。その作業だけで夕方から深夜まで時間を要していた。十数年ほど前の話である。
結論としては福島開催のレースが候補に上がった。どこに使っても好勝負に持ち込めるレベルの馬は中央場所で使う。馬主や調教師が福島まで遠征するよりは京都や東京で使いたいと考えるのは当然でもある。そこで調教師と検討した結果、福島のダート1000メートルと芝1200メートルのどちらかに使おうと話がまとまった。ダート、芝は問わないタイプだった。こうなると次は騎手探しである。いつも2、3番手につけるスピードがあるのに、いざ追い出すとフォームがバラバラになって踏ん張りがきかないA。舞台が小回りの短距離戦でもあり、追える豪腕タイプよりはあたりの柔らかい騎手を選んで騎乗依頼。速さでの勝負を選択した。
現在、週末の各レースの出走メンバーは木曜日に決まっているが、当時はレース前日の午前中に決められていた。つまり、土曜日のレースは金曜日、日曜日のレースは土曜日にそれぞれ出馬投票が行われていた。この週の福島の予定馬は土曜のダートが13頭で日曜の芝は8頭だった。なぜこんなに差があったかというと、土曜日は傑出馬不在でどの馬にもチャンスがありそうなメンバー構成だが、日曜日は2着を続けている強い関東馬Bが1頭いたため、他は着を拾おうとするレベルの馬ばかりだった。「勝ちに行くなら一応は土曜ですが、出馬投票はギリギリまで待ってください」と私は調教師に伝えた。日曜の方が勝てる可能性が低いのは明らかだったが、少し気になる点もあった。芝に出走を予定している有力馬Bの追い切りが過去に例がないほど軽かったのだ。
金曜日の朝、つまり土曜日のレースを使うべく出馬投票していたAの調教師に「日曜日にしましょう。いま関東の同業者を通して確認が取れました。Bはソエがひどくなったので直前に出走を回避すると決めたそうです。他の関係者にはまだこの情報が入っていませんから、どちらのレースもメンバーが動かないはず。7頭立てでこの相手なら勝つチャンスは十分です」と電話を入れた。私と同様の情報をキャッチしている関係者がいれば日曜日の予定馬が増えることも考えられたが、Bが回避を決めたのは出馬投票締め切りの10分前。他馬が予定レースを変えることもないまま日曜日の芝は読み通りの7頭立てとなり、Aはそのレースを逃げて勝った。
たかが未勝利馬1頭だけの話を長々と書いたが、この話は意外な方向に展開した。まずは待望の初勝利を挙げたAだが、福島戦後のレントゲン撮影で剥離骨折していることが判明した。それも初勝利のレースでの骨折ではなく、捻挫した数ヶ月前に骨折をしていたものだった。つまり、Aは骨折したままの状態で実戦を使われており、強い稽古を積めばコズむのも当然だったが、症状が軽く場所もレントゲンに映りにくいところだったために発見できなかったのだ。馬が骨折していることに気付かずレースを使っていたという話はこれ以外にも何度か聞いたことがあり、決して有り得ない話ではない。半年間放牧に出して立て直されたAは見違えるほど伸びやかな走りに変わって急成長。短期間に条件戦を連勝して晩年にはハンデ戦の重賞を勝った。
福島の未勝利戦の記憶もすっかり薄れていたその年の暮れ。一年を締めくくる最終レースのインタビューをすべく阪神競馬場の検量室に向かう私の背後から「あの福島の1勝のお陰でナンバーワンになれた。いろいろありがとう」と聞き馴れた声がした。最終日まで激しい勝ち星争いを繰り広げていた件の調教師は僅か1勝差で東西リーディングトレーナー争いの首位の座に就いたのだった。振り向いた私は彼とガッチリと握手を交わした。
競馬ブック編集局員 村上和巳