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「おい、そこの見慣れん髪の長い兄ちゃん。4時半頃に行ったウチの厩舎の○○の時計採ったか?なに、マイル106秒9やて?デビュー前の新馬でそんなお化けみたいな時計出るわけないやろ。ワシの時計は111秒0やった。暗かったから他の馬と間違ったんちゃうか。他にEコースの時計採ってるヤツはおらんのか?」
30年ほど前の土曜早朝のトレセン。突然3階の記者席にやってきた中年調教助手の言葉に当惑した。競馬記者になって間がなく少しはストップウォッチが使えるようになってはいたが、本来業務は厩舎取材。この日は体調を崩した先輩の代理で臨時の調教班を務めていた。コースのところどころに照明塔はあっても土曜の朝4時半といえば向こう正面はまるで暗闇。一頭の時計を完璧に採ろうとするなら、馬場入りからずっと双眼鏡でその姿を追いかけねばならない。当時は坂路やウッドコースこそなかったが、それでも通常はB、C、Eの3コースが開放され、早朝からそれなりの頭数が馬場入り。すべて観察しながら完璧に時計を採るのは至難だった。
同業他社のEコース担当者もひとり、ふたりはいたが、長目から行っているのを見落としたり席を外していたり。なんとその馬の時計は私しか採っていなかったのだ。寝ぼけた様子の頼りない新米記者の106秒9と一頭の馬だけに集中しているベテラン厩舎関係者の111秒0。どちらを採用すべきか話し合ったが、結局は111秒0を正式な時計とした。自分の時計が間違っているとは思えなかった私だが、「デビュー前の新馬でそんなお化けみたいな時計出るわけがないやろ」という相手の主張には従うしかなかった。当時のEコースで8ハロン106秒の時計など、バリバリのオープン馬でもそうそうは出せるものではなかった。
秋の新馬をちぎって勝ったその○○は骨膜炎による休養を挟んで翌年の特別戦も連勝。500キロを超える巨体から繰り出されるフットワークは実に力強く、そしてスピード感に溢れていた。2戦ともが他馬を子供扱いにする大楽勝。3戦目の皐月賞では西の秘密兵器として大いに人気を集め、関西のかなりの競馬記者がこの馬を本命にした。しかし、私は印を下げた。母系に短距離向きの血が入っているのが気になったのともうひとつ、上記のデビュー前の調教時計の一件が尾を引いていた。相手の勢いに圧倒されて自分の採った時計を5秒も遅くした判断が正しかったかどうか。歴史的な名馬の道を歩む可能性のあるこの○○。そのスタートの時点での貴重なデータが誤ったものになっているとしたら、それはすべて私の責任だという思いもあった。
皐月賞、NHK杯、ダービーと3戦連続して人気を裏切った○○だが、その後に出走した中京の短距離戦で楽勝を演じた。スピードが勝ったレースぶりが示すように明らかに距離に壁があったのだろう。短距離路線に切り替えれば連戦連勝して間違いない器と思えたが、この頃にはすでに脚部不安に蝕まれていた。その後は5戦して重賞をひとつ勝っただけ。デビューから数えて10戦目となった秋の京都戦のレース中に故障を発生して斃死。桁外れのポテンシャルを持っていた○○はその才能を開花させることなく消えて行った。
「実はワシが採った時計はマイル106秒5。能力がある馬なのは判っとったが、それにしても時計が速すぎる。半信半疑で専門紙記者席に聞きに行ったら、あんたの時計も106秒台やった。これは凄いと思ったが、冷静に考えるとデビュー前の新馬には明らかにオーバーワークで乗り手としても失格。調教師にはとても顔向けでけへん。それに、こんな時計が出たと知ったら新聞屋も集まってくるやろ。騒ぎになってもいかんので咄嗟に111秒0やて言うてもうたんや。あんたには悪いことしたが、まあ、そういう事情があったんや。足もとがパンとして、いまぐらい距離体系が整備されとったら、G1を勝ちまくれたやろな」
当時の土日のトレセン記者席は閑散としていて専門紙記者の姿もまばら。腕時計型のストップウォッチを女性のように手首の内側にはめ、拳を折るようにして馬の背で時計を採る人間も少なくなかった。数年後、前述の調教助手から真相を聞いた私は資料室に行ってデビュー前の○○の調教時計を111秒0から106秒9に書き改めた。振り返ってみるとそう大きな問題ではなかったのだが、個人的にはこだわりたかったのである。この事実を知っている人間は社内にもいない。
競馬ブック編集局員 村上和巳