・ガルヴァニック ・ゴールデンダリア ・シグナリオ ・スクリーンヒーロー ・マイネルダイナモ ・ロックドゥカンブ
・ザレマ ・ダイワスカーレット ・ピンクカメオ ・ベッラレイア ・レインダンス
「気づかないうちに8週くらいまで記録が続いていて、9、10週目あたりからは少々プレッシャーも感じていましたが、正直なところこんなにアッサリと達成できるとは思っていませんでした。諸先輩の立派な調教師の方々が過去に成し得ていない記録なので、嬉しい限りですね。協力してくださった関係者の方々や応援していただいたファンの皆様がいればこそ。心から感謝しています」 8日(土)、中山競馬第9Rの白井特別でひとつの記録が生まれた。栗東編集局のテレビの前には居残りの全スタッフが集結してレース観戦。直線半ばでこのマイネルキーロフが先頭に立つと「よっしゃ、そのまま」との声が挙がった。というか、思わず声が出たのは私だったが、それに呼応するかのように周囲からも同様の声が出ていた。ご存じの方も多いと思うが、この馬を管理している中村均調教師がJRA新記録(1984年以降が対象)の11週連続勝利を達成したのである。ちなみに、10週連続勝利は他に橋口弘次郎、安田隆行、角居勝彦、池江泰郎の各調教師が達成している記録。上述の通り少々プレッシャーを感じていたと中村均師は述懐するが、11週目の最初に出走させた馬で難なく新記録を樹立してしまうのだから凄い。
中村均さんといえば日本調教師会の会長としても知られており、お父さんは1972年秋に天皇賞を勝ったヤマニンウエーブの管理者・中村覚之助元調教師。彼が調教師として開業したのは1978年、つまり29歳のときで、それまでは職人気質の人間が多かった調教師会にニューウェーブ誕生と大いに話題を集めた。大学を優秀な成績で卒業して父親と同じ職業に就いた人物と聞くと温室育ちで苦労知らずのエリートをイメージしがちだが、その実態はかなり食い違っている。表裏のない快活な言動からは育ちの良さが伝わってくるが、決して人を見下すことのない優しさ、相手を真っ直ぐに見据えて質問に答える誠実さにはいつも感心させられたもの。年齢が3歳しか違わず、私自身が現場時代に長く厩舎担当をしていたこともあり、今でも時折連絡を取らせていただいている。
ここで中村均さんのプライベート情報を公開できる範囲でひとつふたつ紹介しよう。もうすぐ59歳になる彼だが、その容姿は私よりも遥かに若々しくいつも健康的。ひ弱で根性のかけらもない私は常に羨望の念を抱いている存在だ。数年前からスポーツジムに通ってトレーニングを重ねているとのことで、そういった日々の地道な努力が年齢を感じさせないエネルギッシュな雰囲気を保たせているのだろう。また、多芸多才の彼だが、その歌声はなんとも言えず味がある。十数年前に数度カラオケに同席させていただいた記憶だけで書いているが、片手にマイクを握り締めて直立不動で情感を込めて歌う『マイウェイ』には何度圧倒されたことか。一緒にいるだけで場が明るくなる。そんな天性の才能を持ち合わせている人物なのである。
所属馬の管理だけでも大変だというのに調教師会を束ねるという重責をも果たしている。JRAや他の団体との折衝もあれば競馬サークルの代表としてマスコミにも対応。まさに八面六臂の活躍をしている中村均さん。普段電話を入れても「申し訳ないが、いま会議中」という返事が大半。そんな彼だというのに、週刊競馬ブックを休刊とした週の月曜日には私のもとに気遣いの電話を入れてくれた。「我々の生活がかかっているというだけでなく、たくさんのファンのために、そして競馬を支えてくれている皆さんのためにも、全力を挙げて再開に努力します」と熱っぽい言葉には勇気づけられた。インフルエンザ禍でとても本来業務に専念できない状況下での11週連続勝利という快記録達成には素直に敬意を表したい。
競馬ブック編集局員 村上和巳