・ヴィータローザ ・サンレイジャスパー ・スウィフトカレント ・ソリッドプラチナム ・ニホンピロキース ・ニルヴァーナ ・メイショウカイドウ
7月21日の小倉競馬12レースで武豊騎手がJRA通算2944勝をマーク。歴代最多勝記録を更新した。これまでの最多勝はご存知岡部幸雄の2943勝。彼が約38年の歳月を費やして積み重ねたこの記録を武豊は21年弱という期間で塗り替えてしまったのだから凄い。武豊がデビューしたのは1987年。名人と呼ばれた武邦彦騎手(現調教師)の息子としてデビューした彼だが、いまから考えると信じられないことかもしれないが、当初はそれほど注目されてはいなかった。騎手や調教師の息子が騎手になること自体はよくあることで、また、当時は競馬そのものが市民権を得ていない時代でもあった。つまり、マスコミの注目度も極めて低かったのである。
私が彼を意識するようになったのは初勝利となったダイナビショップでのレース。自然体で抗うことなく馬を御すそのスタイルはまるでベテラン騎手を思わせる“枯れた騎乗”で、デビューして間もない新人とは思えない落ち着きに驚かされた。馬から下りても常に沈着冷静。我々競馬マスコミの取材にも思慮深い言動で対応した。そんな豊に各厩舎から有力馬の依頼が集中するのにそう時間は必要なかった。この年、新人としてはJRA史上最多の69勝をマーク。翌年には一気に関西リーディングジョッキーへと階段を駆け上がった。
天賦の才能と明晰な頭脳を兼備する武豊は強運をも持ち合わせていた。彼がデビューした当時に関西騎手界のトップとして活躍していた個性派田原成貴が落馬負傷で戦線離脱。入れ替わる形で一気に頂点へと上り詰めたのだった。それだけではない。それまでは圧倒的な東高西低の時代が続いていた美浦と栗東の力関係が、彼の台頭とともに逆転するのである。その背景には坂路、プールなどの施設を充実させて関西馬を強くしようという関係者の地道な努力があったのだが、そんな時代の流れと彼の活躍が見事に符合していることを考えると武豊は強運だと言わざるを得ないが、そんな言葉だけで片付けるには残してきた成績があまりに偉大すぎる。武豊という人間は単にレースに勝つだけでなく、時代の流れを変えてしまうだけの力があったのかもしれない。
若くして競馬サークルのヒーローとなった武豊は様々なマスコミに積極的に登場して競馬の魅力を社会にアピール。好感度No.1のアスリートとして各方面から表彰を受けるなど八面六臂の活躍を続けてイメージアップに貢献。その後の競馬ブームの火付け役となったのはご存知の通りである。日本の競馬の顔となった彼が次のステップとして世界の舞台での活躍をめざしたのは第一人者としてはごく当然の決断だった。さすがに欧米では国内と同レベルの活躍はできていないが、それでもG1制覇を含める海外通算104勝は立派なものである。
JRAの認知度を国内だけでなく世界にまで高めた武豊。そんなNo.1騎手が今年は思ったほど成績が上がらずにいる。その原因については諸説入り乱れているが、時として耳にするのが“エージェント問題”。武豊を勝たせまいと一部の騎手のエージェントが徒党を組んでいるという認識違いも甚だしい憶測である。まずはJRAに欧米並みの“エージェント”は存在しないということを断っておきたい。たしかにJRAでは騎手の代理人を認めているが、この代理人はあくまで依頼窓口となって交通整理をしているだけ。乗り手を決めるのはオーナー(もしくは調教師)であり、騎手以外の人間がオーナーに直接交渉して有力馬をかき集めるなどということは日本の競馬サークルではまず有り得ない。騎手というのはあくまで依頼を受ける側でしかないのだから。まして、競馬人気が落ち込んでいるこの時代に武豊を陥れて何のプラスがあるというのか。それと、もうひとつ。有力馬が集まらなくなった結果として武豊が勝てなくなったと仮説を立てるなら、裏返せば武豊はこれまで有力馬に乗ったからこそ勝てていたということにもなる。この仮説は天才と称される彼をあまりに軽視している。
ここ数年の武豊の騎乗ぶりについて「股関節が硬くなった」「羽毛のようなあたりの柔らかさが影を潜めた」といった騎手OBの声がある。その指摘が当たっているか否かはともかく、最近の騎乗ぶりからは若い頃のような“しなやかさ”や“カミソリのような切れ味”に痺れる機会が減りつつあるように思える。彼も38歳。20代の頃とは関節や筋肉が変化して当然でもある。それに加えて、安藤勝己や岩田康誠の中央入りにより、武豊一極に有力馬が集中していた時代からそれが分散する時代に変化しつつあるのも事実。つまり、武豊はひとつの試練を迎えているのだ。しかし、彼がこのままNo.1に復帰できないとは思わない。節目、節目で見事な進化をつづけてきた彼なら現在の厳しい状況を乗り越えても不思議ないのだ。
私が一番印象に残っているのは1993年の皐月賞。引っ掛かる気性のナリタタイシンに跨った武豊は最後方で馬の気持ちをなだめ、直線では内目から馬群を斜めに切り裂くように外へ持ち出してビワハヤヒデを差し切った。その手綱捌きに鳥肌が立ったのを記憶している。後日に本人に声をかけたところ「もう一度同じように乗れといわれても乗れないでしょうね」と述懐したほど完璧な騎乗だった。おそらく年内に前人未到の3000勝を達成し、その後も3500、4000と勝ち星を積み重ねていくだろう武豊。今後もナリタタイシンの皐月賞のようなゾクッとする手綱捌きを見せて欲しい。ああいったレースは彼にしかできないのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP