・マツリダゴッホ ・ダークメッセージ ・トウカイエリート ・ネヴァブション ・トウショウナイト ・アドマイヤタイトル ・デルタブルース ・トウカイトリック ・メイショウサムソン ・アイポッパー
いつまでも寒暖の差が激しく例年よりも冷気に悩まされることが多かった今年の春。薄着をしては風邪を引きそうになり厚着をしては汗をかく。そんなことを繰り返してきたが、4月も半ばを過ぎたあたりから比較的薄着でも気にせず外出できる気候になった。そして、衝動的に引っ越してから丸2カ月が経過。最近はGジャンにタンガリーシャツ姿の得意の軽装で電車に乗り、周囲の人間模様を眺めたり居眠りをしたり。心身ともに通勤生活に馴染んできている。地下鉄、JRとスーツ姿のサラリーマンが多いなか、ラフな服装で長く伸びた髪を後ろで束ねているような中年オヤジなんて完全に浮いた存在ではある。自分自身が常識的で健全な社会人にはなり得ないという感覚は若い頃から持っていたが、電車で通勤するようになってからは改めてそれを実感している。
電車に乗っていて感じることがもうひとつ。携帯電話を使用している人間が多いのである。比較的すいているときなどは周囲の人間の大半がメールやゲームに熱中している。「優先座席近辺では携帯電話の電源をお切りください。それ以外の場所ではマナーモードに設定して、車内での通話はご遠慮くださるようお願いします」といったアナウンスが再三再四流れているのだが、そんなことはお構いなし。「もしもし、いま○○の駅を過ぎたとこ」といった電話をしている人間も少なくない。若者だけならまだ諦めもつくが、私と変わらない世代が声高に電話で話している姿を見ると苛立ってくる。札幌に住んでいる私の姉は心臓にペースメーカーをつけていて、数カ月前に新しいものと入れ替えたばかり。周囲で携帯電話を操作されると(体内の機器が誤作動しないか)やはり気になるという。電車は様々な人たちが利用しているのだからもう少し配慮するべきだろう。
電車内で文庫本や新聞を読んでいる人の姿を見つけるとなんとなくホッとする。携帯書籍なんてものまで登場して、いまや携帯電話を駆使して原稿を書いている若い作家もいると聞くが、頭がすっかり固くなっているせいかそういう類のものにはどうも馴染めない。ネットでこんな原稿を書いている立場だというのに活字は印刷物で読むのがいちばんだと頑なに信じている人間でもある。隣の乗客が読んでいる本がどんな種類のものなのか気になってこっそりと観察したり、一面を飾る大見出しにつられて他人の新聞をしっかりと覗き込んだり。ときとして相手に気づかれて嫌な顔をされることもある(情けない)が、まあそれはそれ。日々めげることなくそういったスパイ活動に精を出しているなんとも懲りないオヤジではある。
最近は電車内で競馬新聞を読んでいる人間の数が減った。スポーツ新聞にしても同様である。私が若かった頃は“オヤジ=競馬新聞”もしくは“オヤジ=スポーツ新聞”と表現しても過言ではない状態で、週末の午前中などはどこへ出かけてもオヤジたちが競馬の記事を熟読していたもの。現在、私が利用している電車が競馬場やウインズとは無縁の方角に向かうものだとしても、その数が減少しているのは間違いない。米国ではここ数年、新聞(一般紙)の発行部数が激減しており、とくに若者の活字(出版物)離れが顕著になっているとのことだが、その現象は日本でも当然起こっていること。そんな時代に出版業界の片隅で生きて行くのは楽なことではない。
桜花賞、皐月賞とそれなりのメンバーが出走してレースそのものも十分に見応えがあった。にもかかわらず、レースの売り上げは前年比でそれぞれ90.3パーセント、88.7パーセントでしかなかったのには愕然とした。競馬人気の凋落は想像以上のペースで加速しているようである。個人的には現在の競馬そのものに力がなくなっているとは思っていないだけに対応が難しいが、せめて、この欄で年がら年中お気楽ネタばかり書き殴っていないで読者の皆さんに競馬の魅力を掘り下げて紹介できるような原稿を書きたいものである。遠くない将来、電車内に競馬の記事が氾濫する活気ある時代が戻ってくると信じて。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP