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「何人かのリスナーの方からは、いい実況だったと声をかけていただきました。ありがたいことです。でも、自分の中では『前半1000mの通過ラップが59秒7、…』と言った瞬間、0秒1だけ次の言葉を考えてしまったんです。アナウンサーというのは、実況の最中に次に何を言うかを頭の中で考えてはいけないんです。実況では次々と変わる局面を客観的に伝えつつ、同時進行で印象や鍵になる表現を織り交ぜなくてはいけません。とにかく、途中で止まって考えてはダメなんです。もちろん、流れが完全に途切れたとは思っていませんが、わずか0秒1でも考えてしまった瞬間があったぶん、皐月賞の実況には合格点をやれないんです」
来栖正之クンと久しぶりに飲んだ。私がラジオの競馬中継の解説をしていた頃にコンビを組んでいた毎日放送のアナウンサーの一人である。彼が競馬担当になって初めてレース実況をしたのが、その私の出ていた番組であり、私が現場生活の最後となるラジオ番組の解説をしたときの司会者が彼。そういった縁もあって飲み出すと昔話に花が咲いた。そんな折に出てきたのが前記のコメント。酔っていたためにその内容を完璧に再現できていないのは残念だが、わずか0秒1の空白さえも許さないプロの厳しさが伝わってきた。
「短期免許で今週から来日した騎手を紹介します。名前はスミヨシ(住吉?炭吉?)です。スミヨシなんて……、随分、日本的で親しみやすい名前ですね、村上さん。この騎手はまだ若そうですが、ヨーロッパでの実績はどうなんですか」
これは数年前に起こった有名なスミヨシ事件。来栖アナがフランスのスミヨン騎手をスミヨシ騎手と本番の最中に読み間違えてしまったのだ。「受け狙いのギャグですか」とだけ答えて、そのあとは抱腹絶倒。しばらくは言葉が出なかった私。横にいたアシスタントの女性は椅子から転げ落ちて笑い泣き。痙攣を繰り返した後、悶絶。しばらくは番組が進行しなかった。テレビ番組でなくてよかったといまでも思っている。「あの日は放送終了後に知人から次々とメールが入り、翌週のトレセン取材でも会う人、会う人にスミヨシ事件を冷やかされました」と当時を回顧して笑っていた彼。
食って飲んで喋って。アッという間に時が過ぎた。「ただ単に予想や馬券が当たった外れただけじゃなく、競馬の本質や魅力をファンに紹介できる番組を作りたい」と熱っぽく話していた新人時代の彼。その当時から『競馬アナは競馬文化の伝道者でなくてはいけない。そして我々競馬記者は予言者でなくてはいけない』と言い続けてきた私。予言者としての道は当たらないままに閉ざされてしまったが、伝道者としての来栖アナの今後には大いに期待したい。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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