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30年来の友人Sが脳溢血で倒れたと聞いたのは3週間ほど前。手術が成功して危険な状態こそ脱したが、右半身が麻痺状態にあって病院で車椅子の生活を送りながらリハビリを続けているとの知らせが舞い込んできた。
私が音楽喫茶をしていた頃に草野球を通じて知り合った彼は、高校野球で大阪代表として甲子園に出場し、準決勝まで進んだ経歴を持つスポーツマン。見るからに頑強な容姿と限りなく明るい性格。そんな独特の雰囲気が好感を持って受け入れられ、すぐに我が弱小チームの投手兼四番打者になった。それまでの長髪にしてひ弱だった左腕のエース(私)は当然のようにライトに回された。そしてチームは見違えるほど強くなった。
病院で15年ぶりに会ったSは想像以上に活気があった。何より驚いたのはフラつきながらもひとりで歩けるまでに回復していたこと。「まだ右半身の感覚は麻痺したまま。舌も右半分に味覚がないし、感触そのものが判らない。だから食いモンを飲み込むときは感覚が残っている左側に移してからでないとダメ。往生するわ。でも、これでちょっとは痩せられるかも」そうぼやきつつも笑っていたS。そんな彼の明るさと回復の早さが救いだった。
麻雀をしている最中に突然前かがみに倒れたSは薄れる意識の中で「いつもの心臓発作や。大丈夫やから車から薬を持ってきてくれ。それでもアカンかったらいつもの病院へ運んでくれ」と知人に頼んだとか。ところが「この様子は心臓やない。循環器系よりおそらく脳外科系や。無理に動かすな!一刻を争うから救急車呼べ!」とメンバーの一人が的確な指示。その判断がSを救った。なんと、次々と指示をしたその人物は外科医だったのだ。「対応を誤っていれば取り返しがつかなかった」は救急病院の医師の診断だったという。
新人の竹本騎手が落馬事故による脳挫傷で亡くなった。その知らせを聞くと、言葉を失くしたまま悄然と過ごした岡潤一郎騎手の告別式の記憶が甦ってきた。あの夜、「レースで落馬しても駆けつける救急車に乗っているのは医学知識のない単なるアルバイト学生。そんな人間が負傷した騎手を担架に乗せて移動させる。救護班の最初の判断ひとつに生死がかかる場合もあるのに」と憤っている騎手がいたのを思い出す。その件について正式に問い合わせた訳ではないが、もしあの発言が事実だとするなら、そしてその救護体制が変化していないとするなら、JRAの姿勢は大いに問題だ。
怪我から身を守るための防具はヘルメットと上半身のプロテクターだけ。危険を承知で競走馬に跨る騎手たちのために、医学知識のある専門家を救護班として待機させておくのが主催者の当然の義務でもある。避けられるものなら、二度と悲しい出来事を繰り返して欲しくはない。これは競馬ファンのみならず、人間なら誰しもが考えることなのだから。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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