波乱は呼ばない?
山の上から降りてきた紅葉前線が里に届き、秋も深まってきました。10月初めのスプリンターズSで火蓋を切った秋のGTシリーズも先週までで6レースを終了。残りも同じく6レースとなり(J・GTを入れれば7レース)、秋の陣もちょうど中間地点を迎えたことになります。 それにしても、雨に祟られ続けた秋前半。ここまでを振り返っても、強く印象に残るのは水しぶきを撥ね上げ、泥にまみれて戦う馬たちの姿ではないでしょうか。重馬場の秋華賞に始まって、翌週の菊花賞は勝ち時計が3分18秒9という極端な不良馬場。更に、天皇賞も降りしきる雨の中で不良馬場。勝ち時計は2分08秒3と、これもまたレース史上見たこともないような時計での決着になりました。 道悪のGTが続いたことで、3週前の当コラムでも田村TMが不良馬場だった1991年の秋の天皇賞を振り返っていましたが、GTが不良馬場で争われたケースというのはそう多くはなく、グレード制が導入された1984年以降の33年では計18レース。更に、芝に限定すると下記の14レースとなり、その頻度は2年に1回弱。そんなレアケースが2週続いたのですから、今年の秋のGTシリーズが、秋霖の攻防戦≠ニして強く印象に残るのも当然のことかもしれません。 ところで、上記の14レースを改めて振り返ってみると、過半数の8回で1番人気馬が優勝。以下、2番人気が1勝、3番人気が4勝で、実に14レースのうちの13レースで3番人気以内の馬が優勝しています(残る1回も5番人気が優勝)。 いつもの力関係が通用しないようなドロドロの馬場。ともすれば、それを波乱の要因と考えてしまいがちですが、少なくともここ30年あまりのGTに限れば、実態はまったく逆。「疾風に勁草を知る」という言葉がありますが、過酷な条件になればなるほど本当に強い馬しか残らない……。不良馬場での戦いに関しては、もしかしたらそんな原理が働くのかもしれません。勿論これは、ここ30年の芝GT戦のみ≠ニいう限られたデータの検証に拠るものですが……。 最後にグレード制導入以前のGT級レース(2歳戦を除く)で、不良馬場の戦いとなったケースを列挙してみました。カッコ内の数字は人気です。 ●3才限定 【桜花賞】56年ミスリラ(4)、71年ナスノカオリ(1)、79年ホースメンテスコ(15)、81年ブロケード(1)、83年シャダイソフィア(3) 【皐月賞】40年ウアルドマイン(2)、50年クモノハナ(4)、54年ダイナナホウシユウ(2)、80年ハワイアンイメージ(4)、83年ミスターシービー(1) 【オークス】41年テツバンザイ(1)、54年ヤマイチ(3)、66年ヒロヨシ(5)、70ジュピック(12)、71年カネヒムロ(10)、76年テイタニヤ(1) 【ダービー】32年ワカタカ(1)、33年カブトヤマ(3)、34年フレーモア(1)、35年ガヴアナー(2)、36年トクマサ(5)、50年クモノハナ(1)、55年オートキツ(10)、59年コマツヒカリ(3)、65年キーストン(2)、69年ダイシンボルガード(6) ※33、36年は“稍不良”発表 【エリザベス女王杯】79年ミスカブラヤ(2) 【菊花賞】57年ラプソデー(3) ●古馬 【天皇賞春】47年オーライト(1)、65年アサホコ(1)、71年メジロムサシ(2)、76年エリモジョージ(12) 【宝塚記念】65年シンザン(1)、67年タイヨウ(4)、72年ショウフウミドリ(3)、80年テルテンリュウ(1)、 【天皇賞秋】42年ニパトア(4)、54年オパールオーキツト(4)、69年メジロタイヨウ(5)、75年フジノパーシア(2)79年スリージャイアンツ(5) 【ジャパンC】なし 【有馬記念】59年ガーネツト(9)、68年リュウズキ(6) さすがに、ここまで遡ると大波乱を呼んだケースも見受けられます。個人的に強く印象に残っているのは、田んぼのような馬場になった桜花賞を15番人気で逃げ切ったホースメンテスコ。このホースメンテスコの逃亡劇こそが、私の中にある不良馬場=大波乱≠ニいうイメージの原点なのかもしれません……。 さて、読者の皆さんはどんな泥んこの戦い≠ェ印象に残っているでしょうか?
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