ニシオボヌールと 高田騎手
障害練習を通じて平地で頭打ちの成績になった馬が蘇るケースがある。最近で、顕著なのがニシオボヌール(セン5歳、栗東・高橋亮厩舎)だ。
父アッミラーレ、母ターフマジョリック、母の父タイキシャトル。兄にニシオドリーム(父デビッドジュニア)はダート1200mで5勝。自身は3歳2月の新馬戦・京都ダート1800mで逃げ切り勝ち。2勝目は去勢明けの4歳1月、同じく京都ダート1800mでの先制押し切りだった。が、同年9月から(15)(6)(6)(14)着。馬がレースを投げ出すようになっていた。
「あの馬は優等生ぶっていただけで、実は人間の言うこと(指示)を聞いていたわけではなかった」と当時の調教の様子を振り返る高田潤騎手。「馬がかしこいから普通キャンター、追い切り、競馬を理解していて、その時々に応じ、自分で勝手に走っていただけ。一見、乗りやすいように思うけど、本当のところはそうじゃなかった」という。普通キャンターはこうすればいい、こうするものだと馬が分かっているから、鞍上は関係なしに自分のリズム・ペースでキャンターの作業をこなす。追い切りは早く終わらせたいから、テンからバーッと行ってしまう(能力が高いので速いタイムは出る)、競馬に行けば行ったで、しんどいからとやめてしまう。そんな悪いスパイラルから抜け出すべく、障害練習が取り入れられたのだ。
狭くて逃げ場がない状況で障害練習をすると、馬は鞍上の指示を待つしかない状況に追い込まれる。いま飛ぶのか飛ばないのかを鞍上に尋ねたり、時には怒りの感情が湧き、隠していたニシオボヌールの「自分」がやっと出てきて、ようやく馬と騎手とのコミュニケーションが始まった。障害に転向するつもりで飛越を始めたわけでない。しかし、彼らは関係を深めつつ、試験を受けられるところまで段階は進んでいった。
14着の大敗後、放牧を挟んでの緒戦は1月の中京芝1200m。調教で馬の気持ちが変わってきたのが明らかだったので、何もかもリセットする意味で、まったく違う条件からの再スタートを切るのが最善だと判断された。さらに高田騎手は馬が走るのをやめることを覚えてしまっていることを懸念し、戦法も一転して、逃げから最後方からの追い込みに転換する。 競馬前でもボーッとしていた馬が、この日は返し馬でのテンションが高く、レース前から気合、気配が違っていたという。スタートはポンと出たが、前半はとにかく手綱を抑えて抑えて後方を進み、4角を回って馬群の中に進路を取るといざGOサイン。鞍上のアクションに馬が応え、ゴールまで確かに気持ちが続いて、勝ち馬から1馬身+アタマ差の3着に迫り寄った。上がり3Fはメンバー最速の33秒6。タフな中京、最終週の芝を考えれば数字的にも立派だ。「能力があるのに、それを出し切れていなかっただけ」と繰り返す高田騎手。これを境に、芝1200mで500万(3)(2)(2)(1)着、1000万(1)着、1600万(7)(5)(7)(2)着と生まれ変わった。
ところで、このジョッキーが障害練習を施し、実戦で結果が出た例は他にも15年の谷川岳Sで2着に入線したメイショウヤタロウ(16頭立て13番人気)があった。ひとつひとつを緻密に積み上げ、長い月日をかけて点と点が線となり、それが競馬へとつながっていく。馬を再生させる高田騎手の思考、調教技術、戦略に注目し続けていきたい。
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