花の命は……
秋の華≠ニ書いて秋華賞。JRAホームページの特別レース名解説によると、秋華とは中国盛唐の詩人・杜甫が漢詩の中で用いた言葉とのことです。中央競馬の数あるGT競走の中でも、レース名の雅やかさということなら、やはりこのレースに尽きるのではないでしょうか。その秋華賞は牝馬3冠競走の最終戦として1996年に創設、今年で第22回を迎えます。 ところで、秋華賞以前に牝馬3冠競走の最終戦に位置づけられていたレースといえば、ご存知のように条件変更前(1976〜95年)のエリザベス女王杯でした。更には、それ以前の1970〜75年にも3冠最終戦としてビクトリアCが施行されており、牝馬3冠のレース体系も間もなく半世紀に達しようとしています。 とはいえ、その牝馬3冠競走、最終戦がエリザベス女王杯から秋華賞へとシフトチェンジした1996年を機に、様相が大きく変わりました。 それを確かめるべく、3冠最終戦の優勝馬が春の2冠でどのような成績を残していたかを改めて振り返ってみると……。 一見しただけで、1996年以降は春のクラシックと密接な関係になったことが分かりますが、優勝馬が春2冠のどちらにも不出走だった確率を数字で示してみると、両者の差は更に明瞭なものになります。その結果が下記の通り。なお、94年ヒシアマゾン、96年ファビラスラフイン、02年ファインモーションは、春のクラシックに出走権がなかった外国産馬なので集計の対象外としています。 【春2冠に不出走だった確率】 70〜95年 → 48.0%(25頭中12頭) 96〜16年 → 26.3%(19頭中5頭) 上記の通り、1995年までのビクトリアC〜エリザベス女王杯当時は、ほぼ2年に1回の確率で、桜花賞にもオークスにも不出走だった馬が優勝。つまり、春はクラシックの舞台すら踏めなかった馬が、夏を越えて一気に頂点まで登り詰める≠ニいうことが、さして珍しくない出来事でした。 ところが、1996以降の秋華賞時代になると、その確率は4年に1回にまで減少。春シーズンから高いパフォーマンスを見せてきた馬が3冠最終戦で勝利を飾る≠ニいう可能性がグンと高まったのです。 更に、優勝馬が春2冠のどちらかで連対していた確率を調べてみると……。 【春2冠のどちらかに連対していた確率】 70〜95年 →24.0%(25頭中6頭) 96〜16年 →68.4%(19頭中13頭) ご覧の通り、春2冠での連対確率では3倍近い差が開いています。秋華賞時代に入って、牝馬3冠路線がそれだけ充実したものになったことは間違いありません。 なぜか? 3冠最終戦が2400mのエリザベス女王杯から距離2000mに、つまり、桜花賞とオークスの中間距離になったことが大きいのでは……、当初はそう思っていたのですが、よくよく調べてみると実はそうでもなさそうです。 今度は、桜花賞馬とオークス馬の3冠最終戦での成績を見てみると……。 【桜花賞馬、オークス馬の3冠最終戦成績】 70〜95年 → 桜花賞馬 出走19頭で5勝 オークス馬 出走18頭で2勝 96〜16年 → 桜花賞馬 出走16頭で6勝 オークス馬 出走18頭で7勝 1996年以降、確かに桜花賞馬も若干成績を上げていることが上の数字から分かります。ただ、2000m戦に距離短縮されたことで飛躍的に成績を上げたのは、むしろオークス馬の方でした。70〜95年は18頭のオークス馬が3冠最終戦に駒を進めながら僅かに2勝、しかし、96〜16年は同じく18頭のオークス馬が駒を進めて7勝。つまり、2400mのオークスで世代の頂点に立っている馬の方が、2000m戦になったことでより成績を上げているのです。 そう考えると、牝馬3冠路線充実の要因は、最終戦の距離短縮といった単純なものではなく、もっともっと奥深い背景があると言えるかもしれません。 実力馬、実績馬がぶつかり合って火花を散らすのが勝負事の醍醐味ですが、それと同時に、4回に1回くらいは下馬評を覆す新星が現われるのもまた勝負事の面白さ。春とのつながりが薄かった旧エリザベス女王杯当時と比べると、現在の秋華賞はいい感じでバランスが取れており、いい感じで歴史を重ねている……℃рノはそう思えます。 「花の命は短くて……」そんな言葉がこの牝馬3冠路線に似合ったのも今は昔。現在、花の命はけっこう長いものになっているようです。どこかの生命保険会社も言っているように……。
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