名誉教授の“競馬とマスメディア”論から
先月25日、国の中央防災会議が設置した作業部会で、「南海トラフ地震に関する防災対策を見直す」といった内容の報告書案が作られ、それに沿った形の最終報告書が昨日、9月26日に政府に提出されたようです。 かいつまんで、個人的なレベル(?)の要点だけ書けば、「現在の予知を前提とした防災対応を改める」ということ、でしょうか。 この報告書案のニュースが報じられた翌週、週刊誌のコラムの方で「本誌“一筆啓上”に寄稿いただいていた地震学の権威、三木晴男さんが存命だったら何と言われたろう」と書いたのですが、これについて意外なところから問い合わせがありました。 「本当に三木晴男さんが“一筆啓上”を担当していたのか」と。 今から20年以上も前のことになりますが、地震学の権威であり、京都大学名誉教授をしてらした三木晴男さんが、確かに週刊競馬ブック誌上の“一筆啓上”に寄稿くださっていました。 何でも、ウオッカなどの馬主として知られる谷水雄三氏の紹介で、とかなんとか…。 直接お話したことはありませんし、地震研究の方の業績等もまったく明るくはないのですが、いわゆる“地震雲”ってあるじゃないですか。我々の周囲にも不思議な雲を見つけては写真を撮っている人間がいますが、あれも真面目な(と書くと怒られるかな?)研究対象にされていたりして、様々な角度から地震予知に取り組んでおられたようです。 ですから、「現在の科学的知見では困難」という理由で、予知前提の防災対策を見直すことになった現状を、どう思われるかな、と思ったのでした。 その先生がなにゆえ競馬好きだったのかは知る由もありません。地震予知と競馬予想の類似性を見出した、とかだったりするかもしれませんが、ともかく「わからないことへの探究心」が人一倍旺盛だったのだろうな、とは推察できます(著書「馬となまずと私と」を読めば答えがあるかな?)。 その三木先生の“一筆啓上”のコピーが手元にあります。1995年2月6日号に掲載されたもの。 そのタイトルが、 『競馬とマスメディア』 書き出しがどんなものであるか、と言うと、 「取材対象と不即不離の関係を保ちながら社会の木鐸であれとは、私が時代遅れの老人とはいえ、申しますまい」 で始まります。 で、それと言うのも、のニュアンスで、 「政治の世界にも番記者なるものがあって〜(略)」 と断りを入れた後、 「それにしても、一般のメディアには政治批判が極めて多いのに、競馬メディアには競馬社会に対する批判や提言がほとんどなく、生産者・調教師・厩務員・騎手ときには馬主に対する賛辞や彼らに関する美談・佳話ばかりが溢れているのは何故か。まるで彼らへの阿諛追従がこのメディアの役目であるかのようである」 と続きます。 口さがない皆さんに、「JRAの機関紙のようになっている」などと陰口…じゃなく大っぴらに言われたりしている昨今を思うと、寄稿してくださっていた先生、専門の“防災対策の見直し”だけでなく、こっちの方もどう思われるのか、なんてことをついつい考えてしまいます。 ちなみに他の回のタイトルも引きますと、 『プロに負けるな』『競馬のテレビを見ながら』 だったり。 20年以上前の、京大の名誉教授をしている競馬ファンの提言が、現在にも通用してるように思えるのは、デジャヴじゃないですけど、不思議な感覚に陥ります。これって、もしかして進歩してない、ってことになるんでしょうか? いやむしろ、もしかすると状況は悪くなってたりしないか、なんてことまで考えて、いささか不安にさせられたりもします。 まさかと思いますが、先生、本業の“予知”そのもののノウハウでもって、将来の競馬を取り巻く環境まで見通しておられたんでしょうか? 四半世紀も過ぎてからですが、改めて身が引き締まる思いがいたします。 それにしても、わからないものへの追求、探求心、といったものは尽きることがありませんな。 地震とは違って、競馬は“結果”がレース毎に出ますから、その都度“答え”は出るわけですけど、では“次”に生かせるかというと、必ずしもうまくはいきません。というより、うまくいかないことの方が断然多い。 だから、飽きることなく、面白い。間違っても“わかったような”物言いができる対象では、ない、と考えています。勿論、時と場合で例外的なケースはあるとして。 そんなこんなで地震予知の話に戻しますと、雲と関係あるかどうかはさておき、いつぞやのニュースによれば、「上空の“電離圏”での電子数の増減を検証して地震予知につなげよう」という動きがある、のだとか? この研究、国の機関ではなく、一般企業と京都大学の共同作業によるものだそうで、上空からの情報を地震予知に生かそう、なんて発想が京大の研究チームから出てくるというのは、三木先生、本業の方でもしっかり“次”を提示してらした、ってことですか? いや、これこそ門外漢の憶測。知らなかったり、わかっていない話を“わかったよう”にはできません。書いたそばからこの有様。重々、気をつけないといかんです。
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